詳しい情報は明かせませんがある現職リハビリセラピストさんに脊髄損傷の体験談を聞かせてやって欲しいと依頼を受けました。
おそらく担当する脊損患者さんの対応に苦慮していると想像し自分の経験で役立つならと引き受けました。
けれど実際にお話しを伺っていくとセラピスト自身が努力するためではなく経験不足が災いする現実逃避でした。
それなりに脊損を長くやってきているので体験や見解も豊富にあり受傷間近の写真なども紹介しながらお話しをしましたがただただ責任から逃れたいと思う人間に何を言ってもと届かないと痛感しました。
さてこんな無敵の人を非難するのはカンタンですがあらためて若い頃の経験はとても大事だなと考えるに至ります。
なのでこれからセラピストなど目指し社会でがんばっていこうとするヤングな方々に向けてこんな大人になっちゃ悲劇だよとの気持ちで記事をしたためます。
ではまずリハビリセラピストとの対話することになった経緯や内容について触れておきます。
リハビリセラピストとの対話
ではまずセラピストさんから相談をもちかけられることになった経緯と趣旨について触れておきます。
- 回復期にある脊損患者さんの対応に苦慮している
- 担当セラピストに脊損患者の担当経験が乏しい
- 脊損さん当事者の経験を聞かせて欲しい
このような趣旨で相談を引き受けることになりました。
担当患者さんが障害を持った人生に苦慮してリハビリが思うように進まないのでは?という気持ちは同じ経験をした人間として察しがつきます。
こうした患者さんをまえに担当セラピストがどう接していけば良いのか?という悩みだと想像しておりました。
なので自分が経験したことやその当時の気持ちを思い出してその頃はこんな悩みを抱えていたな~と受傷当時を振り返っていました。
そんな気持ちを整理しつつリハビリに前向きな気持ちを持てない段階をどうやって乗り越えたか?という答えを考えていました。
そして迎えた面談当日。
面談にやってきたのは50歳前後と思われる役職者と部下である若手PTセラピストさんのお二人でどちらも女性です。
ところがいざ話を伺ってみるととんでもない丸投げな内容でかなり驚きました。
上司である役職PT氏言い分は要約すると次のような内容でありました。
▼現職PT氏の訴え
- これまで脊損患者さんを担当した経験がない
- 障害を抱えない健常者である我々では説得力に欠ける
- 脊髄損傷当事者が対応するのが良い
とこんな内容だったのです。
いかがです?
かなり理解に苦しみました。
とくに上司である主任が必死に経験がないことをアピールしてできない理由を並べます。
雇用関係にない組織上にまったく関わりのない第三者に熱く訴えても意味がないのに。
こんな現職主任が完全な丸投げ体制を取っているので部下の若手PT氏もネガティブな方向へと誘導してます。
本来なら経験不足の若手を引っ張る立場なのに。
最初は冗談で自虐気味に言ってるだけかと思ったのですが本気で逃げてると理解しました。
さてここからは役職者である主任氏をあえてポンコツ主任と表記していきます。
ポンコツ主任は言いました「障害を持たない健常者の私たちでは分からない」と。
さらにポンコツは「脊損の人が接してくれた方がインパクトがある」と。
たしかにそうかもしれない。
たしかに脊髄損傷の車いす人生を過ごしてきた当事者としてこんな経験をしてきたと語る内容はリアリティがあるしこちら側も対応する気持ちも持っている。
ただ問題は患者さん本人が脊損当時者の話を聞きたがっているのかと確認すれば「そういう状態ではない」と。
このポンコツ主任の回答でさらに理解に苦しんだ。
対応できるが患者さん本人の気持ちは?
人間ができてるぼくはポンコツ主任の言い分を100歩も200歩も譲って患者さん本人が会いたいと言ってるなら「患者さんと話しますよ」と即答。
本人さんが脊損当事者さんの話を聞きたいと言ってるなら今すぐ会いに行っても良いとまで返事した。
けれどポンコツたちはワーワー叫んでるワリに患者さん自身の気持ちを動かせてない。
なので無理くり合わせるワケにもいかない。
つまり自分たちの焦りと現実逃避だけだった。
そしてセラピストが焦る背景には入院期間のリミットが迫っているという現実があったと推測。
ぼくが脊損として入院した昭和60年代は入院期間も長くゆったりしてたが現在は症状に応じて入院期間が定められている。
こうした現状にセラピストたちは自分たちの行動で結果もだせない、自信も経験もない。
経験のなさから自分の言葉で患者さんにも向き合えないの八方ふさがりだったのでしょう。
現場での問題に理解はできるとしても患者さん本人が会いたがってもないのにぼくが無理くり突撃して頑張ります!という事もできない。
そして自分たちの思惑どうりに展開が進まない二人のセラピストさんは障害を持つということを簡単に考えていると想像した。
身体障害者として障害を乗り越えるという意味
さて脊髄損傷にもさまざまなケースがあります。
脊髄の損傷部位によっても負う障害と症状はずいぶん変わります。
不全麻痺ならば立位や歩行を目指すリハビリが可能となるし、ぼくのような回復の見込みはまったくゼロの完全麻痺なら半身不随の身体で日常生活に対応を目指すリハビリとなる。
今回のポンコツが担当した患者さんがどんな状態であったかそこまで確認する余裕がなかった。
仮に比較的軽度な腰椎あたりの損傷だとして足がわずか動く状態だったとしてもやはり将来を悲観したり不安を抱くのはムリはないと推測する。
損傷部位の違いによって車いすを併用しながらの立位生活が可能か?あるいは足にまったく反応がない完全麻痺であれ初期の段階はそれなりに将来に不安を抱えます。
たとえばもとの身体に戻れるだろうか・・・
車いす生活そのものに持つネガティブなイメージ。
立位が可能だとしてもスポーツに親しんできた人なら選手生命が断たれる。
排泄機能や生殖機能の損傷もかなりネガティブな問題です。
褥瘡に悩まされ日常生活に支障をきたすことも多いです。
ポンコツPTに担当患者さんのリハビリが捗らないことの背景を想像しないのかと質問しました。
なぜなら脊髄損傷の障害を負うことによって褥瘡や排泄の問題などさまざまな副産物を生むからです。
年齢の若い人なら異性の問題も考えるでしょう。
結婚への不安とかイメージできますよね?
すなわち人生や生活において普通の人が普通に経験していくことのひとつ一つをクリアしてくことがどれだけ大変なことか。
だからポンコツたちにアンタら簡単に考えすぎじゃないか?と。
いきなり障害者になっていろんな不安や葛藤を前に気持ちがすくむのは当然ではないか?と。
車いす生活を送ることになる、歩けない障害者として生きる、酷い表現をあえてするならカタワの人生。
そんな人生を送ることになった当事者として気持ちを想像できませんか?と。
そうした不安をセラピストの知識と技術で問題をクリアしていくのが資格者の立場ではないのかと。
そのために存在しているのではないのかと。
なので先生方自身がリハビリの向こうに普通の生活を送れるということをアンタたち自身が信じてないんじゃないですかとぶつけた。
こんなことを偉そうに言われて普通なら相当腹が立つハズ。
若い方のセラピストさんはそれなりに響いた様子ですがポンコツはそもそも努力する気がないのでまったく反応は得られない。
目の前にポンコツ主任氏が存在しているから言えるのではあるけれど脊損患者さんを担当したことがないと丸投げするそんなPT氏が在籍のリハ病院なんて当事者として正直ゾッとする。
内情や詳細は分からないけれど病院勤務の実態などは大変なことも多いと想像する。
とくにここ最近のコロナ騒動によって相当な負担を課されていると思うし医療従事者の方々には感謝しかない。
実際にぼくも脊髄損傷のオートバイ事故で救急搬送された大津日赤で入院し面倒を見てくれた先生や看護師さんPTの先生には本当に良くしてもらった。
けれど退院を経て社会復帰して生活していくとやっぱりやりきれないこともある。
気持ちを前向きにできす、かなり後ろ向きな考えになることだって当然ある。
そんなネガティブな心境に陥ると入院した大津日赤病院でお世話になった人たちを思い出しとくにリハビリの先生や看護師さんの顔が思い浮かぶ。
今回目の前に存在するポンコツ主任氏たちに退院した患者さんの心に残るそんな存在にならなきゃならんのではと投げかけた。
きれいごとかもしれないし現実はそう簡単ではないかもしれない。
大変なことも多いと思う。
けれどあえていいます。
経験と実力が伴わないアナタ達の存在は損失であり結局は患者の不利益になるのだと。
そう伝えたところで何も感触はなかった。
だからせめて記事に残しセラピストを目指そうとする若い人に読んでもらいたいと考えた。
生きとし生ける者は人生に向き合う
相談を持ちかけてきたセラピストが課題に向き合う姿勢を持たず「あなた方は何のために存在するのか?」と問うことになった今回の出来事。
課題に向き合うと言葉で言えばカンタン。
けど現実はやっぱり大変。
苦手なこともあるし失敗が怖いこともある。
今回のポンコツ主任の例でいえば若い頃から50歳に近いこれまで脊髄損傷の患者さんを担当した経験がない。
よくある逃げ口上に「やったことがないから出来ない」。
あるいは仕事の負荷を増やしたくないと考えての丸投げだったのかもしれない。
だけどあなたは専門職の有資格者。
本来なら努力すべき立場だけどラクな職場で過ごしてきた挙句にもうつぶしが効かない中年を迎え問題に対して迅速に対応する術を持たない。
もうPTとして対応できないのはとっくに理解しているけれど生活や子供の学費、ローンもあり辞めたいけど辞められない。
さらに重ねていく年齢と恐怖心が勝りチャレンジできなくなっていく怖さ。
よく分かります。
老齢となって物理的に難しいことも確かにある。
だからこそ若い頃に行動してチャレンジしておくことがとても大事だなと思い知った次第です。
今回の出来事から学びがあるとするなら経験値が上がっていかない仕事や職場での経歴は何の役にも立たないし年配になったとき結局は自分を苦しめます。
これからいろいろ頑張っていきたいと考える若い人にこの記事で何かを感じてもらえたら主任氏が生きた人生も報われるでしょう。
しめくくり
車いす生活は2022年で37年目を迎えようとしています。
オートバイ事故により脊髄損傷を負った車いすの人生でしたが大好きだったオートバイにもサイドカーという形でもう一度乗ることができました。
もちろん社会復帰も果たし22年間を会社員として働き、仕事をしながらパラスポーツである車いすフェンシングで世界選手権に出場する競技生活も経験しました。
体力があるうちにと自営業にも挑戦し移動カフェを開業しました。
しかしいろいろと挑戦はしてきましたが何者にもなれない人生でした。
けれど脊髄損傷という手持ちカードで精一杯闘ってきたという思いは持っています。
あと残りの人生でどんなことにチャレンジできるかは分かりませんが精一杯やっていきたいと思います。
置かれた立場でしっかり自分の人生を生きていきましょう。
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