オートバイ事故で脊髄を損傷したのはもう30年以上も昔のことです。
当時バカで勉強嫌いで視野の狭い17歳のぼくは事故で入院した病院で絶望を突きつけられました。
「もうオートバイに乗ることはできない」
その時から7年後ぼくはサイドカーを購入しライダーに戻ることができました。
しかしなぜ歩くことも立つこともできない脊髄損傷の身体になったのにサイドカーに乗ることができるのか?
ウソだと思う人もいらっしゃるでしょう。
どうしてバイクに乗ることができたのか、洗いざらい下記のページでご説明しています。
お時間をちょうだいできるようでしたらご覧ください。
今回は30年間脊髄損傷者として人生を生きてきたぼくが振り返る手術の可能性と治らないと宣告を受けたときの気持ちをテーマにお届けします。
入院中のドクターからの宣告を受け止めた17歳の地図
入院中はとにかくもうヒマです。
時間を持て余すというのはまさにこの事です。
で、この持て余す時間に色々なことを考えてしまうワケですね。
将来のこととか障害の事とか特に悲観的なことを考えがちです。
ぼくは当然入院して状況が落ち着いて間もなく担当のドクターから障害について宣告されました。
「神経が伸びてくることが無ければ歩く事はできない」
おそらくドクターの見通しでは可能性はほとんどゼロだったと思います。
けれどいきなり17歳の前途多難な若者に「一生車椅子生活です」と宣告するのは危険と判断してくれたのでしょう。
治る可能性は無いのに可能性はゼロではないという意味で「神経が伸びてくるかもしれない」と説明してくれました。
でもある意味では「もう治らないかもしれない」という説明にもなります。
このような含みを持たせたドクターからの説明にぼくは全てを理解したのでした。
そうですもう「治らない」と。
けれどこの絶望が無ければ車椅子の人生を生きていく為の気持ちの切り替えもできなかったかもしれないとも思うのです。
もし歩くようになるかもしれないと考え続けたら脊髄損傷としてのリハビリも前向きに努力できたのか自信はないです。
ある意味では「治らない」と諦めたのは良い決断だったのかもしれません。
でも世の中広いですからねぼくのように同じ脊髄損傷となっても奇跡的に歩くことができるようになったり下半身の感覚が戻ってくるような事例もあります。
このような奇跡的に回復を遂げた方はもしかしたら並々ならぬ努力やリハビリ訓練を受けたのかスゴい精神力があったのか定かではありません。
でもきっと諦めずに気持ちを持ち続けたのでしょう。
状況は違いますがぼくが脊髄損傷になったばかりの入院時代に同室の入院患者さまより一冊の本を賜わりました。
その本は群馬県の新任の中学校体育教師となった星野富弘氏が頚椎損傷となり社会復帰を果たすまでの壮絶な出来事を収めた「愛深き淵より」という書籍です。
この本のなかで星野さんが病院で仲良くなった同じ境遇の若い入院患者さんがある日を境に身体の感覚が戻っていく事例があったことを紹介されています。
こんな事例を本のなかで情報として拝見した同じ境遇のぼくはやはり「治るかもしれない」という可能性を抱かずにおれませんでした。
ですがぼくの場合は脊髄の7番目と8番の骨を圧迫し骨がグチャグチャに潰れていたのです。
ぼくは絶対に治らないと思う理由
フツーの骨折程度ならポキンと折れるだけですがぼくの状況は背中に強い衝撃が加わり骨同士が圧迫しあいベチャっと潰れて中に通る神経と通り道を完全な破壊してしまってました。
仮に切れた神経くん同士が上と下で繋がろうと努力しても脊髄というトンネルが崩壊事故のままなので自然に神経が伸びて回復するということはあり得ないと思うのです。(注 脊髄損傷当事者の見解ではあるが医療専門家ではない)
では手術の可能性で回復する見込みは無かったか?
いま思えば神経の回復と自然結合の可能性のために破損した脊髄を復旧し神経が通る為のトンネル工場だけでも不可能だったのかと思う。(果たして可能か無理なのかは分からない)
脊髄の損傷してしまった神経の治療はいまの段階では不可能ですので潰れたトンネル(脊髄)だけでも復旧させ神経くんの通り道だけは確保しておきませんか?という作戦です。
トンネルさえ直しておけばあとは神経くん次第です。
神経くん達ががんばって伸びてくるかもしれないしダメかもしれない。
でもドクターは提案しなかったし可能性を探ろうとしなかった。
(本当はしていたかも?)
ということはやっても意味がなくほぼむだ足になるいうことでトンネル復旧手術は検討しなかったという結論なのでしょう。
ちなみにこれまで知り合った脊髄損傷の方達で実際に手術を受けた方はいらっしゃいます。
でもこの手術の意味が神経の再生を目的とした手術ではなく骨折した脊髄の固定など保存的な意味あいの手術がほとんどです。
2018年現在の医学レベルでは頚椎や脊髄を損傷し切れてしまった神経を治療することはまだ臨床段階であり治療法として活用できる状態ではありません。
脊髄損傷の治療法確立に向けて医学界では臨床試験が実施され再生医療や細胞移植法など実現に向けて取り組まれていますがまだまだ時間は必要なようです。
不幸にも頚椎損傷や脊髄損傷になってしまい今後の人生に不安を抱えてしまうことも確かにあります。
状況や損傷の程度によって治ることをあきめらない気持ちも必要です。
でも場合によっては明らかにする意味で「明らめる」ことも大事かと思います。
誰しもなりたくて障害者になった人はおられないでしょうが障害を持ったことで「見えてくる」もの「経験」できるモノも確かにございます。
脊髄損傷者として30年いきてきたぼくが断言します。
でも障害と障害を持った自分をいつまでも「後ろ向き」に捉えている状態とメンタルに宝物はやってきてくれません。
障害者さまも健常者さまもご自身をご自愛されながら世間さまの風あたりを逆に利用してやるぐらいの気持ちで立ち向かっていただきたいと思います。
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