脊髄損傷の排便コントロールってどうしてるの?

脊髄損傷の重大な悩みのひとつ排便の問題とケアについてぼくが日ごろの生活で注意している食べ物や排便コントロールについてまとめます。

便失禁が不安で外出できない。

半身不随の身体に希望が持てない。

どんな方法で排便コントロールするのか知りたい。

こんな疑問にお答えできればと思います。

脊髄損傷の排泄障害とは?

脊髄損傷になった場合、下半身の感覚がマヒするので排泄障害が発生します。

損傷の部位や神経の損傷具合によって個人差はありますが多くの場合排泄機能を(排泄感覚)を失ってしまい自分でお腹に力を入れた排便や排尿を行うことが出来なくなってしまいます。

もちろんぼくもこのケースにあてはまりそれなりの苦労とトラブルを味わってきました。

いまでは排便は週に2回、自分で行う摘便と自己導尿の方法に落ち着いています。

病院で入院中の初期の段階は看護師さんの処置による摘便を受け処理してもらいますが、ある程度経過が良くなり、車いすでリハビリなどを受けるようになるとトイレの訓練も始まります。

病院でのトイレ訓練に対応し、自分で排便ができるようになっても生理現象ですので便失禁などのトラブルは避けれません。

しかし便失禁は人間の尊厳をメタメタにするほどの影響力を持っていますのでゼロにすることは難しいもののできれば失敗回数は減らしたいですよね?

そのためには普段の生活で食べる物を気を付けたりトイレで格闘している最中?は感覚を研ぎ澄ましておく必要があります。

便失禁の失敗を減らすために注意していること

あくまでぼくが自分で対処し、それなりにうまく出来ている方法として参考にしてください。

ぼくが注意していること
  • お腹が緩くなってしまう食べ物と飲み物を把握して控える
  • 自分の排便ペースをつかむ
  • 開き直る精神も必要

ではひとつづつポイントを解説していきます。

お腹が緩くなってしまう食べ物や飲み物を把握

健常者のころは下痢することが無かった食べ物や飲み物と量がだんだん分かってきます。

逆にお腹がゆるくなる食べ物が分かってくることによって排便する直前や前日に摂っておくことで便がでやすくなるような工夫というか対応が出来るようになります。

自分は下剤を用いて排便することはありません。

これも失敗して分かったのですが、下剤の場合はだんだん同じ分量を飲んでいても効かなくなってくるのです。

効かないのでまた量を増やしてきます。

そうすると急激に効きすぎてお腹を壊してしまうことが度々あり、自分は下剤は合わないなと分かりました。

それからは出来るだけ自然な食べ物や飲み物で便がゆるくなるような自分に合う食品を探してこれまでやってきました。

そういう意味では夏場でもアイスクリームやかき氷と言った夏ならではの冷たい食べ物はほとんど摂りません。

もしアイスを食べることがあってもトイレの前日になります。

アイスクリームを下剤のような意味で食べてます。

極端に言うと食べ慣れていない物に対して結構神経質になります。

もう今では下痢してしまうものは大体分かるようになりましたが、旅行先や海外に言った場合などは結構神経質になりますね。

お腹が緩くなった食べ物・飲み物

  • コーラあるいは炭酸飲料
  • スイカ
  • コーヒー牛乳
  • ピルクル
  • 下痢にはならないがお通じがよくなった食べ物

  • 手作りこんにゃく
  • さらにうんちの出が悪くなるような物もあると思います、ぼくの場合はスナック菓子ですね。

    水分が足りないとカッチかちになるので夏場は小まめにお水を飲んでおくとか特に注意が必要です。

    余談ですが脊髄損傷になったばかりの2年目ぐらいのときに尿路感染の発熱と体調不良に襲われ、水分を摂っておかなければと考えポカリスエットの2リットルのボトルを熱にうなされながらガブガブと飲んでいました。

    すると夜中にお腹を壊してしまい地獄を味わいました。

    もうそれ以来、真夏にいくら喉が渇いていてもポカリスエットをがぶ飲みすることはありません。

    自分の排便のペースを掴みましょう。

    例えば僕でしたら週に2回の頻度で3日おきと4日の間隔でトイレ日を決めて対処しています。

    感覚的に3日ぐらい間隔が開いてたらこのぐらいのうんちの量かなあとか(抽象的ですみません)。

    自分が食べた量を記憶の片隅に置き沢山食べたからまだ出るはずとか摂取量と排泄量でのだいたいの見当をつけられるようになります。

    もし仮に食べた量と出た量の帳尻が合わない場合は便が降りてきていないということです。

    このような状況は要注意です!翌日かあるいは1日置いて不意打ちのようにうんちくんがこんにちはしてきます。

    従ってあんまり出が悪かったなあという時は数回に分けて時間を置いてトイレに入るようにしています。

    そんな努力をしていてもやっぱり不意打ちで翌日や1日おいてうんちくんの襲撃を受けるときがあります。

    けれどいつの間にか「あれ?なんか変だぞ!」という兆候みたいなものが感じるというか判断できるようになります。

    すぐにトイレに飛び込める環境であれば真に合う場合もありますし、車の運転中とかならもうあきらめるしかない時もあります。

    そんな場合に備えてクルマとベッドサイドには大きなごみ袋を用意しています。

    開き直りも大切

    脊髄損傷のぼくはそもそも便意の感覚がないので全部出たという区切りのタイミングというのが判断が難しく分かりません。

    なのでどんなにもう大丈夫だろうと思ってもお腹の中は見えない世界なので最初のころは随分失敗しました。

    いまでもうんち漏らしちゃったとかゼロではありません。

    どのぐらいの量がでたらもう大体終わりだなあって感覚がつかめるまではある程度時間がかかります。

    慣れるしかないのですが、初期のころは何度も失敗しますし、それは仕方がありません。

    漏らしてしまうともちろん絶望的な気分です。

    失敗したときはもう全てが嫌になります。

    なんでこんな身体になったんだとか。考えなくても良いようなことばかり頭にめぐってくるときもあります。

    今でも無いと言えばうそになるかもしれません。

    そのぐらい排便を失敗したとき、処理のしんどさを考えると気持ちを萎えさせます。

    けれどそういう身体になってしまったのだからいちいち滅入っていると精神がもちません。

    だからなんだぐらいの気持ちをもっていないと健常者でさえ生き抜くのが大変なこの世の中、寿命をまっとうできません。

    開き直るぐらいの気持ちが必要でしょう。

    健常者の人でも飲みすぎたり冷たいものを摂り過ぎて電車の中や道端でうんこを漏らしちゃう場合だってあるんですよ?

    だから恥ずかしいとかそんな意味で自分を責める必要はないと思います。

    でも人間とは不思議なものでその身体に慣れていくことが出来ます。

    少しづつですが改善されていき今では失敗は年に1回あるかないかぐらいで、まったくなくなる訳ではないですが、ずいぶん頻度としては減ってきます。

    海外へ旅行に行く場合はお水にも注意!

    海外の場合は、お水が合わないことがあります。水道水が飲むことができないところでは迂闊に生野菜のサラダなんて手を出せません。

    飲み水はミネラルウォーターで対応できますが、食事で出てくる生野菜を洗うお水までミネラルウォーターで野菜を洗っているとは思えません。

    なので海外で生野菜のサラダはいっさい食べないようにしています。

    それから海外のマクドナルドでも飲み物をオーダーするときは氷抜きでオーダーします。理由はミネラルウォーターで作った氷でなければお腹を壊してしまうのでファーストフードでも気を抜けません。

    こういった涙ぐましい注意と神経質さで、脊髄損傷の排便コントロールは可能となります。

    まとめ

    いささか大変だなあという印象を与えてしまった気もしますが、失敗と学習の上で、身体に慣れていき食べ物など気をつけていくものが把握できていくことで対応できるようになって行きます。

    もしこの記事を読まれる方で同じ境遇の方がいらっしゃったらどうか悲観せずがんばってください。

    つらいことも多いですが人生捨てたものではありません、タマには良いこともあります。

    それでももしこの先の人生に希望が持てないと思われているならぜひこの本をお読みください。

    自分が脊髄損傷で入院したころ同室の患者さまから賜り、勇気をいただいた星野富広さんの書籍です。

    星野さんは中学校の体育教師になられた間もないころ放課後の部活動の模範演技中の跳び箱で誤って頭部から落下し頚椎を損傷されました。

    症状は首から下が完全に麻痺し指1本動かせない状態です。そのような想像もつかない壮絶な苦労のなか、口で筆を加えて字を書くことを発見され絵画に挑戦されていく過程が描かれています。

    ぼくはこの本に希望を与えられて脊髄損傷の身体で30年の年月を過ごしてこれました。

    もちろん楽しいことばかりではありませんし、体のことや精神的に参ってしまう出来事もあります。

    でも悲観していても何も生まれません。

    令和元年となった今年でぼくは51歳を脊髄損傷の身体で迎えることができました。

    もう自分の足で立つことも歩くこともできない体になって34年が過ぎました。

    この34年間、社会人として働きクルマやオートバイも運転できるようになり結婚もできました。

    障害者スポーツにも出会い世界選手権にも出場する機会も得られました。

    でもまだまだ達成したい夢を持っています。

    できれば70歳まで元気で過ごすためにも前向きな気持ちで自分の身体と世間さまに向き合っていきたいと考えています。

    いまこのページを読んでいただいている中でもし希望が持てないという方がおられましたら【できるんだ!】という風に思っていただけたらうれしく思います。

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    ABOUTこの記事をかいた人


    京都府出身

    1986年6月オートバイ事故で脊髄を損傷し下半身不随の障害者となる。
    再びオートバイに乗りたい衝動を抑えられず手動装置でギヤチェンジとリヤブレーキを操作できるように改造したサイドカー付きカワサキエリミネーター250に乗り20年以上経過。
    走り屋(死語)時代にケニーロバーツや片山敬済選手に憧れたオートバイレース世界GPの夢を車いすフェンシング世界選手権出場で叶えた。
    40代を過ぎるまで産業機器生産の会社勤めだったがいつ死ぬのか分からない人生でこのまま社畜として人生終わるのかと思うといてもたってもいられなくなりやりたかった「自家焙煎珈琲の移動カフェ」を開業。
    しかし焙煎機の盗難に遭いアルバイト生活に転落。 経済的不安を改善するためにネットビジネスと株式投資に取り組む。
    「やりたい」と思ったことは実行に移さなければ気が済まない傾向を持つ。 ちなみに菊池桃子さん、鈴木京香さんと同い年の1968年生まれ。