ライターのプロフィールと当サイト「そんなにしてまで」について自己紹介

当サイトをご覧いただき有難うございます。

検索してたまたま偶然訪問した閲覧者さまに「コイツ誰やねん?」を解消して頂くために簡単なプロフィールとサイトで扱うテーマを紹介させて頂きたいと思います。

ライターについて(恥ずかしくてブロガーとは名乗れない)

京都府で貧乏な家庭で生まれ育ち、中学校を卒業してプラスチック成型の金型工場に就職し2年後に定時制高校へ入学しました。

定時制に行くぐらいですから小学校と中学校で勉強が出来なかったのは言うまでもありません。

定時制の生活は、楽しかったです。

昼間はケンタッキーでアルバイトしながら夜は高校へ通学する日々が2ヶ月続いたある日、学校へ行けなくなりました。

オートバイの転倒で骨折してしまったのは脊髄だった!17歳の苦悩と30年後の心境と結果

事故に遭う

定時制高校入学後オートバイレースに憧れていたぼくはヤマハRZ250Rを購入。

定時制高校に通いながらバイク1色の生活を送る17歳は、絶対にオートバイレーサーになるんだと心の中で決心していた1986年6月。

オートバイ走行中にカーブで転倒し脊髄を損傷し下半身不随の障害者としての人生がスタートしました。

障害の程度と等級は胸椎7番と8番の圧迫骨折により損傷部位から下は完全マヒの状態となり一種一級の身体障害です。

救急車により運びこまれた病院にて1年半入院し褥瘡の手術と基本的なリハビリを受けることになります。

ちなみに入院当初はバイクのことばかり考えていました。

サイドカーなら車いすでも工夫すれば運転できるのではないか?とかそんなことばかりです。

まあ、その妄想が無駄では無かったと行動で示すことになるのですが、この時はただの妄想でしかありません。

その後京都市が運営する専門的リハビリテーションセンターにて約6ヶ月の訓練施設に入所し社会復帰への訓練を受ける。

(この医療機関は名称とリハビリ内容を変えて運営中。)

脊髄損傷としてのリハビリは入院してた病院でほとんどマスターしていましたが、本格的に社会復帰への手立てをこの入所施設で探って行こうという作戦です。

その結果、就職と通勤のための準備段階として愛知県の障害者職業訓練校に入学し自動車免許の取得と職業訓練を受けることになりました。

2018年のスピード医療の現代では考えられませんが、ぼくは社会復帰に3年の期間を費やしたのでした。

そして一年間の職業訓練校を卒業し障害者雇用施設に就職し、およそ22年間勤務いたします。

いま思うと結構、ブラックな勤務形態だったように思います。

でも一人よがりの責任感だけで頑張っていました。

話しを戻します。

就職して4年ほど経った頃、入院中に構想を立てていたサイドカーでのライダー復帰計画を実行に移すことにしました。

まず最初に運転免許試験場の適正試験係に相談致しました。

しかし対応して頂いた係官さんはしばらくまともにこちらの話しを聞いてくれようとしません。

そりゃそうですよね?

車椅子に乗った重度身体障害者がサイドカーとは言え、何百キロとスピードの出るオートバイに乗りたいと言うのですから。

(ぼくのオートバイは残念ながら数百キロどころか80キロぐらいしか出ない。)

よくある前例がないということでもあったので理解を得るための説明と手続きに労力は時間はそれなりにありましたが、結果的にはカワサキ重工業のエリミネーター250のサイドカーを個人売買で購入に至ります。

両手だけで前後ブレーキとクラッチレバー、シフトチェンジが操作出来るように陸運局での認可を受けた改造を施し、念願のライダー復帰を果たしております。

ここまでの途中経過は説明するとかなり長くなるので端折っています。

離婚と競技生活開始

その後、ふとした偶然から33歳の頃に競技スポーツに出会い、世界選手権に出場し約10年の競技生活を送る。

ですが、競技に出会う前に離婚を経験しています。

離婚するためには結婚しておかなければなりません。

結婚した時期はサイドカーを購入したありですから、結婚生活はおよそ8年間となります。

離婚を経験し、一人の時間も出来ますよね?

そこでトレーニングのためにプールに訪れたときに車椅子フェンシングとの出会いがありました。

また別の機会に紹介させて頂きますが、競技を通して色々なことを体験させて頂きました。

退職と開業

22年間勤めた某企業協力会社として産業機器を生産する障害者雇用施設を41歳で退職したぼくはお店を開業することにしました。

じっさい不安だらけで貯蓄もないぼくは今考えると無謀だったなと思っています。

職場を辞めることを決めた理由はカフェのような飲食店を始めたかったからです。

もちろん職場の不満や環境も退職を決めた理由にありました。

でも50歳を過ぎると絶対にもうできないと思い、長年勤めた職場を退職し自家焙煎コーヒーの移動カフェを開業しました。

脊髄損傷の身体での移動カフェ開業を工夫と周りの支援の賜物でどうにかこうにかオープンを叶えることが出来たのですが…

しかし神様はまたしても試練を与えるものでオープン直前に車いすで走行中歩道の段差に前輪がつっかえて転倒し右側腰を路面にうちつけ股関節を骨折。

しばらく痛みに悩まされるが脊髄損傷のマヒがあるおかげで痛みも徐々に収まり折れたままの股関節でどうにかなっています。

(そもそも痛みはマヒがあり感じないし、半身不随だから手術する意味もない)

いつの間にか二度目のお嫁さんを迎えることになり、奥方さまがかねてより柴犬を飼いたいと仰せられており、子なし夫婦でもあるのでわんちゃんを里親として迎えました。

柴犬は女の子で当時3歳。いまや天下布武を成し遂げ女王に君臨している。

移動カフェを細々と続けていたがヤフオクで購入したコーヒー豆焙煎機の盗難に合う。

焙煎機を再度購入出来る経済的体力もなく、移動カフェは事実上廃業する。

脊髄損傷の身体を持った人間の立場で人に役立つことを始めたいと思い、独自ドメインを取得しレンタルサーバーを契約して運用するワードプレスにて「そんなにしてまで。」を立ち上げました。

>>>ホームページの立ち上げはワードプレスでキマリ!

そんないまを生きる脊髄損傷のおじさんが届ける「そんなにしてまで。」で取り上げるテーマ

基本的にはこの「そんなにしてまで。」はごちゃ混ぜテーマの雑記ブログです。

しかし管理人が脊髄損傷であることから、脊髄損傷をテーマにした記事で人さまに役立ちたいと考えてその様な関連したテーマを取り上げています。

さらに管理人は貧乏な幼少期を過ごしてきたせいか、資産運用というものに取り組み幾ばくかのお金を相場に溶かしてきましたので投資関連のテーマも取り上げています。

趣味レベルでは、エレキギターや音楽、オートバイ、柴犬もぼくにとっては興味深いテーマです。

スマホで音楽を聴くならデジタルアンプがおすすめ!

トーカイのセミアコ【ES-68(ES-73)】を買ってしまった!ギター専門店の評価とレビュー

初めての250CCサイドカー!購入先とコーナリング方法

とまあ取り留めないブログではありますが、何とぞよろしくお願い致します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


1 × three =

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

ABOUTこの記事をかいた人




オートバイ事故で脊髄を損傷し下半身不随の身体で50歳という年齢を迎えることができました。 交通事故で車いす人生を送ることになってしまいましたが30年間の中で色々とチャレンジしてきたことをこのブログでお伝えできればと思っています。 主なテーマはつぎのようなカテゴリーです。 ・障害や脊髄損傷に関すること ・オートバイとサイドカーに関すること ・エレキギターに関すること ・柴犬に関すること ・その他 取り留めない内容をお届けするかと思いますが、よろしくお願いいたします。