初代ヤマハRZ250に憧れたのは中学生の頃でした

ヤマハRZ250

本日病院受診のあとヒマができたので、月に一度ぐらい本屋でも覗いておくのも社会人としてのたしなみと思い本屋さんへ赴いた。テキトーに現在のニーズと需要を雑誌などから掴んでおくかと考え雑誌コーナーを回っておりました。バイク雑誌が並ぶところで目に留まったRZ250が表紙のモトレジェンドに視線は釘づけ。

見つけてしまった初代ヤマハRZ250・RZ350

このRZ250が販売されたとき拙者は中学1年生のがきんちょだった、当時少年ジャンプで連載されていた池沢さとしさま作品のバイク漫画『GoGo街道レーサー』にこのRZ250(たぶん主人公はRZ350のほうだったと記憶)が登場。いっきに中学1年生のハートをわしづかみにしてしまったバイク。

タミヤからビキニカウル装着のヤマハRZ350が発売されていてタミヤカラーとタミヤパテを駆使し、夢中で作った。当時は機動戦士ガンダムなどロボットアニメが大流行し、ガンダムに登場するモビルスーツなどがプラモデル化されるプラモブームだった。

勉強なぞそっちのけでプラモとバイクを追っかける中学生の毎日。中型免許を取れる日を夢みては単車のプラモ作りにせいをだしておりました。さてこのRZはナナハンキラーなんて呼ばれていました。それだけ2ストのエンジンは爆発的な加速が魅力だったということでしょう。

じっさいに自分が憧れのYAMAHAに乗った車種はオニギリテール最終型のRZ250Rでした。残念ながらこの夢のRZで転倒し車いすの人生を送ることになってしまったのですが、今見ても胸がきゅんきゅんする酸っぱい思い出満載のバイクです。

加速感がしびれるピーキーエンジンの2ストロークバイクが大好きで、所有したオートバイはこのRZとDT50、コンペティションモデルのオフロード車YZ80に乗ってきました。いまでは環境問題などもあり2ストエンジンを搭載したバイクの新発売はありませんが自分がバイクに乗っていたころは2スト全盛期フルパワーの45馬力の時代でした。

そういえば車いすにお世話になる身体になってから普段乗りに選んだ車いすメーカーはOXエンジニアリングの車いすを使っています。この車いすメーカーの創業者さんはRZのチャンバー(排気ガスを出すための部品)で有名なSSイシイの社長さんでしたが、テスト走行中の事故により脊髄損傷の車椅子の身体に。そしてかっこいい車いすを作るために挑戦し続けた結果、現在のOXエンジニアリングにつながっています。

奇遇ですが、RZがもたらす変なご縁でもあります。もし叶うならいまでも2ストのバイクに乗ってみたいバイクがRZです。

2 件のコメント

  • 私のRZ250は初期型でYPVSもなく、6,000rpm – 8,500rpmキープが大変でした。定番のイシイのインテークチャンバーを入れていました。高速コーナーでは車体がヨレるので、タイトコーナー勝負でした。性格のはっきりしたいいバイクでした。

    • hirofukuyaさま

      はじめまして。
      管理人のszuhiko@68と申します。

      コメントと当サイトの記事に興味をもっていただきありがとうございます。
      初期型のRZかっこいいですよね!

      いまでもネットや雑誌の写真を眺めてはうっとりしています。
      いまだに汚れた英雄ばかり観ています。

      ぼくのなかでは完全に時間が止まっているようでもはや矢沢永吉です。

      イシイのチャンバーというのもステキです。
      因果なもので現在ぼくはイシイ社長が立ち上げたブランドの車いすに乗っています。

      こういう意味ではヤマハとRZにつながりのある車いすに乗れているのは幸せなのかもしれません。

      そのブランドはオーエックスエンジニアリングといいます(OX)。

      車輪がフレームに付く構造はオートバイのスイングアームのような構造になっています。

      というワケでコメントありがとうございました。

      あまり有益でもなくぐちゃぐちゃでとりとめないブログにお越しいただき感謝しています。

      またお時間がありましたら覗いてやってください。

      失礼いたします。

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    ABOUTこの記事をかいた人


    京都府出身

    1986年6月オートバイ事故で脊髄を損傷し下半身不随の障害者となる。
    再びオートバイに乗りたい衝動を抑えられず手動装置でギヤチェンジとリヤブレーキを操作できるように改造したサイドカー付きカワサキエリミネーター250に乗り20年以上経過。
    走り屋(死語)時代にケニーロバーツや片山敬済選手に憧れたオートバイレース世界GPの夢を車いすフェンシング世界選手権出場で叶えた。
    40代を過ぎるまで産業機器生産の会社勤めだったがいつ死ぬのか分からない人生でこのまま社畜として人生終わるのかと思うといてもたってもいられなくなりやりたかった「自家焙煎珈琲の移動カフェ」を開業。
    しかし焙煎機の盗難に遭いアルバイト生活に転落。 経済的不安を改善するためにネットビジネスと株式投資に取り組む。
    「やりたい」と思ったことは実行に移さなければ気が済まない傾向を持つ。 ちなみに菊池桃子さん、鈴木京香さんと同い年の1968年生まれ。