2021年の新年を迎えて14日も経過して初投稿です。
あけましておめでとうございます。
投稿も滞り気味の当ブログですが新年のごあいさつもかねて記事をしたためます。
2021年を迎え脊損歴35年目に突入
1986年にバイク事故で脊髄損傷となり2021年6月でまる35年が経過。
正直言ってここまで長生きできるとは思わなかった。
ここであらためて受傷した入院時の経過から現在までの体調の変化を振り返ってみたい。
▼オートバイ事故で脊髄損傷~入院
ケンタッキーフライドチキンで働きながら定時制高校に通っていた自分は休日に滋賀県の花折れ峠の花折れトンネルを京都方面側に出てすぐのカーブで転倒。
翌日の新聞でも事故の出来事が掲載された。
この事故で脊髄の7・8番を圧迫骨折。
救急車で大津日赤へ搬送される。
ハッキリ覚えてないけど1週間ほど集中治療室で処置を受ける。
当時住んでいた伏見から母親と妹が病室に到着し妹の泣き声をうつろな意識のなか聴こえていた。
ケガの状態は脊髄以外に肋骨の骨折と腹部挫傷。
背中も痛かったがお腹に激痛を感じた。
▼入院期の経過
一般病棟へ移り受傷後3か月間くらいまでは高熱を出すことが多かった。
酷い時は40度くらいまで熱があがった。
熱があがったところで処置は解熱の座薬を入れるくらい。
そのうち耐性もできてきて39度くらいでも平気でごはんを食べていた。
日にちがだんだんと過ぎ行くうちに熱発の回数は減っていった。
受傷後3年ほどが経過し社会復帰を迎えてからは年に1度あるか無いかくらいの頻度で尿路感染と思われる熱発が発生するくらい。
膀胱炎及び尿路感染防止の対策としては【どくだみ茶】の活用で対応している。
どくだみ茶を飲んでいると頻尿も軽減される気がする。
膀胱あるいは尿関連で具合の悪さを感じているなら【ドクダミ茶】を一度飲んでみて欲しい。
▼褥瘡ができてしまう
圧迫骨折した脊髄は手術することなくベッドで安静な体勢を取り続けて骨が固まるのを待つ方針で治療が続けられた。
つまりずっと上向きの姿勢で寝たままである。
一か月ほどこの姿勢で休み続けた結果、臀部に褥瘡が出来あがっていた。
いまはおそらくこんな方針で治療はしないだろう。
結局手術を受けることになり褥瘡にはかなり悩まされた。
キレイでつるつるしたお尻が羨ましい。
しかも手術時にお尻の骨が出っ張った仙骨部分を平らに削られてしまっているので車いすにフツーに座っても上半身が傾きバランスがとりづらくなった。
(仙骨部を削った理由は皮膚の発赤を防ぐため)
本当に必要な処置だったのかよく分からない。
今でも褥瘡ができないように日頃注意している。
受傷後約2か月が経過リハビリ開始
うろ覚えだけど受傷して2か月ほど経ちリハビリが開始。
とは言えいきなり車いすに乗ってリハビリ室には行けない。
まずはストレッチャーでリハビリ室に行き起立台で寝たままの姿勢だった状態で起き上がることに慣れていく訓練。
なぜこんなことをするのかその理由は長期間の寝たきり生活の影響で起き上がるとすぐに貧血を起こしてしまうから。
起立台をなかなか卒業できず一か月くらいかかったと思う。
うろ覚えだけど脊損のリハビリメニューとステップを記しておく。
▼脊損のリハビリメニュー
- 起立台で貧血の克服
- PTさんによる下半身および関節の柔軟
- 筋トレ<腕立て、ダンベルなど盛りだくさん>
- 車いすへのトランス(移乗)訓練
- 床⇔車いすへの移乗訓練
- 車いすでのキャスターアップ(いわゆる前輪を上げるウィリー)
- 補装具を足に装着して松葉杖で歩く訓練
- 車いすで段差を乗り越える訓練
- 屋外へ車いすで出かけて踏切を渡るなどの外出時の対応方法
もちろんこれらのメニューをイッキに取り組むわけではなく段階的に進めていくことになる。
ぼくが入院した昭和61年ごろは現在のように短期的でスケジュール化された医療とリハビリではなかったのでかなりゆったりした期間のなかでメニューを習得した。
全てのメニューをマスターするまで受傷から半年くらいの期間だったと思う。
圧迫骨折した脊髄の状況と告知
寝たきりのまま一か月ほどベッドで過ごしたのち圧迫骨折した背骨はようやく固まった。
けれど折れた部位が元通りにくっ付くワケではない。
7番目と8番目の背骨は転倒の衝撃で強い圧力がかかりぐちゃぐちゃにつぶれている。
細かな破片をひとまとめに固まっているだけの状態。
つまり脊髄神経の通り道は断絶されているので両足は動くことのない半神不随と身体障害を負うことになった。
おそらくこの結果は受傷した時点でほぼ確定していたと思われる。
けれど受傷してすぐの段階で17歳の少年にこの現実を告げることはあまりにも残酷と判断され半年間ほど経過を診ることが必要と主治医から説明を受けていた。
もやもやと病室で半年間を過ごすうちにだんだんと諦めのような気持ちになり現実を受け入れていった。
機能が復帰する希望を持てたとするなら背骨が普通にポキンと折れただけなら神経がつながることを期待できたと思う。
脊損になった35年目を迎えるいまでは足が動くようになるかも?なんて1ミリも考えることはなくなった。
けれど受傷して数年はやっぱりもやもやとしていた覚えがある。
整形外科病棟での処置と身体の状況
背骨の状況が安定するまでの初期の段階は点滴の処置があった。
リハビリに向けて骨折した背骨部分を保護するためコルセット製作が進められる。
骨折の完治と同時にリハビリがスタート。
入院初期段階は看護婦(当時は看護師さんではなかった)による摘便処置を受けていた。
どれぐらいのタイミングで摘便を自分で対応することになったか忘れた。
排尿は膀胱あたりを押す方法で対応できたので脊損受傷後30年くらいは自己導尿はしなかった。
カテーテルを使った自己導尿は5年くらい前のつい最近。
もっと早く導尿カテーテルを使えば良かったと思わなくもない。
▼褥瘡の手術を受ける
背骨の安定のために上向きで約1ヶ月過ごした代償として仙骨部に大きな褥瘡ができてしまった。
できれば自然治癒で治したかったがあまりにも傷が大きく感染リスクも高いとの判断で褥瘡の手術を受ける。
褥瘡手術を受けたあとの皮膚周辺は薄いので傷もできやすくかなり悩まされた。
しかも体内で溶けるはずの縫合糸が溶けずに皮膚に出てきたのでかなり困った。
▼入院期間と社会復帰までの期間
社会復帰に費やした期間は受傷から3年が経過。
1年半を病棟で過ごしたのち社会復帰訓練を受ける入所施設へ移った。
入院が長引いたのはケガやリハビリの問題ではなく社会復帰への道筋ができていなかったから。
つまり社会復帰訓練を受ける入所施設へなかなかアプローチできず入院が長引いた。
入所施設では継続してリハビリを受けながら社会復帰への方法を模索。
当時はクルマの運転免許も持ってないので免許取得を最優先に愛知県の職業訓練校へ入校することになった。
無事に免許も取得し訓練校を卒業と同時に京都創業の某大手電機機器メーカーが運営母体となる社会福祉法人組織へ入社。
ここで某大手電機メーカーから出向してきた課長さんに仕事と人間性を学ばせてもらった。
いろんなことを教えてもらったこの課長さんにはいまでも感謝している。
人生の中で本当に尊敬できる人に巡り合うことも大切なことだし意義のあることだと思う。
自分も出会った人にそう感じてもらえるような人となりを持ちたいと思う。
半身不随受傷から現在までの身体的変化
車いすの生活を送るようになって35年も経過すると身体的な変化が目立つようになった。
受傷から現在までの変化を10年区切りで追ってみたい。
▼受傷から約10年<20歳~30歳>
受傷後から数年の脊損になったばかりのころはまだ健常者のころの感覚もあり、少しお尻をぶつけてもこれぐらいは大丈夫と考える傾向があった。
けれどそんな認識が災いしてほんの小さなすり傷が褥瘡にまで発展することを味わったりもした。
健常者のころは問題なかった食べ物や飲み物が脊損になってからはお腹を壊すことになった。
なので受傷してから数年は健常者のころと変わった体質変化に慣れていくことが大変だった。
尿路感染にも注意する必要があり始めのころは仕事が終わってからめちゃくちゃ水を飲んでいた。
風邪も引きやすくなって毎年冬になると熱を出して寝込むことが多くなった。
しんどいし会社は休めないしでなんとかせねばと考えた結果、プールで泳ぐことを思いつき実行したら風邪を引かなくなった。
この経験以来プールは自分の健康法になった。
脊損への体質変化への対応は受傷からだいたい5年くらいでほぼ慣れることができて大きなトラブルも無くなった。
▼受傷から20年<30歳~40歳>
30歳後半くらいから背中のしびれとしんどさを感じるようになった。
しびれは左の肩甲骨から左のわきにかけて。
症状軽減のためにこの頃から鍼灸院で治療を受け始めた。
30歳中ごろに仙骨部滑液袋炎を経験し悩まされた。
仙骨部滑液袋炎は分かりやすく言うと陸上選手によくある膝に水が溜まる現象。
ぼくの場合は車いすの生活でお尻の仙骨部に摩擦のストレスがかかり皮膚のなかで炎症が起き袋ができてしまった。
摩擦によって炎症が発生し袋のかなで水が溜まるという仕組み。
治までめちゃくちゃ時間がかかった。
車いすの移乗やベッドへの移乗などお尻に負担をかけないよう注意が必要。
40歳目前になってくるあたりには背骨の湾曲と歪みが目立つようになった。
受傷から20年<40歳~50歳(現在)>
背中の痺れはほぼ慢性化し苦痛で睡眠が摂れない場合も出てきた。
デカいアクシデントも発生し夜間の歩道を自宅を目指して車いすで走行中に前輪キャスターが道路のつぎめの段差にひっかかり転倒。
右の腰を強打し右股関節を骨折。
長年の車いす生活で骨がもろくなってると痛感。
ご老人が軽く転んだだけで骨折するのと同じ。
さらに二度目の仙骨部滑液袋よ炎を発症。
今回は一度目よりさらに治りが悪かった。
ステロイド注射の処置を受けたりとしたが全然よくならない。
結局はやけくそで温泉に浸かったりプールで泳いだりしたら水がたまらなくなりしぼんでいった。
シロウト考えだけどおそらく体の代謝能力が低下していることが原因と思っている。
つまり温泉に浸かり運動することで体温があがり代謝機能が上がったことで水が体に吸収されたのではないかと当事者として推測している。
60歳に向けての展望とまとめを記しておきたいけど1月15日の編集作業はとりあえずここまで!
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