ぼくはサイドカー付のオートバイに乗るようになり26年が経ちました。
その時に購入した87年式エリミネーター250SEは今でも現役で頑張ってくれています。
何十年ごとに結構本気なメンテを行いながら大切に維持してきたもはやかけがえのない戦友です。
今回の記事ではサイドカーを購入して間もない頃、九州宮崎へカーフェリーを利用した単独ツーリングでの出来事を紹介しようと思います。
ツーリングを決行したのは平成7年か8年ごろの今ほどバリアフリーが行き届かない時代でした。
そんな時代の脊損の一人旅で、ましてやサイドカーでのフェリー旅行です。
不安はありましたが僕にとってはチャレンジできた一つの勲章であります。
この単独ツーリングはオートバイの魅力と旅行の楽しみ方、人の優しさをひしひしと感じる貴重な体験となりました。
いささか古い時代の出来事ですがフェリー旅の魅力と脊髄損傷者の旅行体験記としてまとめてみたいと思います。
ではごゆっくりどうぞ!
脊損がサイドカーで宮崎を目指したワケ
まずぼくが宮崎県を目指してツーリングを計画することになったのか説明します。
ぼくはサイドカー付のオートバイを手に入れるためにバイク雑誌の個人売買コーナーでカワサキエリミネーター250が九州宮崎県から出品されているものを発見しました。
当時ヤフオクはもちろんインターネットそのもののシステムがありませんから電話で連絡を取り購入したい意思を伝えました。
この出品者さんは九州の宮崎県都城市で開業されているモーターショップ甲斐さんでした。
甲斐さんからエリミネーターを購入したそのご縁でオートバイでの宮崎ツーリングを計画しました。
甲斐さんの自宅にも泊まらせていただきながら桜島や指宿を目指しす計画です。
残念ながら、今では甲斐さんとは連絡がつかずぼくの不義理を詫びるばかりです。
今では甲斐さんはかなりのご高齢となっているはずでおそらく80歳前後だと思われます。
甲斐さんは下半身不随のぼくがマニュアルミッションのオートバイの改造を快く引き受けてくれました。
主な改造はフットブレーキとチェンジペダルを手で操作できるように変更を加えています。
もちろん陸運局の認可も得て、運転免許の条件変更も行っています。
甲斐さんが手動装置の改造に対応してくれたおかげでオートバイ事故によって人生に希望を失いかけた僕はまたバイクで元気を与えられたのでした。
人生って不思議なもんですね。
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九州宮崎へのルートはカーフェリー【さんふらわあ】を利用
宮崎に向かう方法としてカーフェリーを選びました。
利用したフェリーは大阪の南港から鹿児島志布志へ到着する【さんふらわあ】です。
夜の7時ごろに南港を出発し翌朝の9時ごろに志布志港へ到着いたします。
もちろんフェリー旅というのは人生初体験でした。
今回はじめてソロでフェリー旅を体験したことでバイクの魅力を改めて再認識しました。
- 乗船時刻を待つ時間も面白い!
- さんふらわあツーリスト(大部屋)を選んで大正解!
- 人の優しさに感動!
オートバイのフェリー旅を経験したぼくはこんな感想を抱きました。
ではその理由をくわしく解説します。
オートバイならフェリーに乗船を待つ時間も面白い!
フェリーターミナルで乗船券の購入などの手続きを済ませたあとは乗船時刻を待ちます。
時間が迫ってくるとオートバイやクルマは決められたスペースに移動し待機します。
待機場所にはもうすでに乗船を予定しているライダーや単車の姿があります。
皆さん到着した順番にバイクを止め乗船時間までライダー同士でバイク談義がはじまります。
僕の相棒エリミネーターはそもそも250ccの排気量なのでそれほど目立つバイクではありませんがサイドカー付の車両なのでどうしても目立ちます。
しかもサイドカー側には車いすを積んでいるのでめちゃめちゃ目立ちます。
すぐにバイク談義しているライダーさん方に声をかけてもらいました。
バイクに車いすを積んでいることにみんなびっくりしています。
オートバイにはミッションを手で操作するための手動装置が物々しくついているのでみなさん興味しんしんです。
そんな時間を過ごして乗船前にはこのフェリーに乗るバイク乗りの人達と仲良く打ち解けてしまいました。
この時間と出会いが脊損ひとりフェリー旅をより良いものにしてくれるキッカケになったのでした。
乗船時刻が始まるとバイク乗りは係員さんの指示に従いフェリーに乗り込んでいきます。
クルマやオートバイの走行音と船内に響く金属音が非日常の世界に引き込みます。
ちなみに駐車する場所は作業員さんの指示によって決まります。
バイクを止めるとすぐに車両の固定作業が始まります。
ぼくは脊損なので両足と腰をストラップで固定しているのでバイクから降りるのに時間がかかります。
早く固定したい作業員さんのプレッシャーに焦った覚えがあります。
オートバイを降りるといよいよ船室へと入ることが出来ます。
ツーリスト部屋を選らんで大正解!
お金をだせば個室でゆったりと過ごせる客室を利用せずにぼくは大部屋の雑魚寝席を利用しました。
当時はたしか4等客室とかそんな扱いだったような気がします。
あらためてさんふらわあのホームページをチェックしてみるとぼくが当時利用した大部屋は現在ではツーリストとネーミングされています。
もちろんお金をケチってこのスペースを選んだのですが乗船後にこの選択が間違いでないことが分かりました。
それは乗船前に待機場所で仲良くなったバイク乗りの人たちと大部屋で同席することになったからです。
このときバイクの旅は単独ツーリングでもこうやってコミュニケーションを深めることができる良い乗り物だなとしみじみと感じました。
乗船してから消灯時間までバイク乗りの人達と楽しく過ごすことが出来たのは旅の良き思い出でもありフェリー旅の魅力ではないでしょうか。
人の優しさに感動!
バリアフリーの行き届かない船内で同席したバイク乗りの人達に助けられ楽しく快適に過ごすことが出来ました。
トイレの介助から飲み物の調達まで全てお世話になってしまいました。
船内で販売されてる大人の飲み物を楽しんでいると当然おトイレに行きたくなります。
当時の船内にバリアフリー対応のトイレは無く健常者用のトイレのみです。
しかもトイレに入るには部屋と通路を区切る海水止めのような段差があり車いすにとって厄介な構造でした。
けれど同席したバイク乗りの人達が手伝ってくれたおかげで問題なくトイレを利用できました。
ちなみに僕は今でこそ排尿方法はカテーテルを使った自己導尿ですがこの旅行当時はバリバリの圧迫排尿の方法で用足ししていました。
袋さえあればどこでもおしっこできるのが圧迫排尿の魅力です。
このときお手伝いいただいた人には手をわずらわしてしまい申し訳ないかぎりですが感謝の言葉もありません。
けれど僕が車いすの身体で一人でフェリーに乗り込まなければこの出会いもなかったかも知れません。
もちろん違う意味で周りの人に迷惑を掛けてしまったのは間違いありません。
迷惑を考え過ぎると何も行動できないし、権利を主張し過ぎる考えも好きになれません。
脊損になってしまったこと、車いすでの人生で僕は人さまのご好意に感謝しながら生きぬくしかありません。
詭弁(きべん)かもしれませんが自分で全て完結できれば世界は孤独です。
ハンデがあるからこそ人との関わりも生まれます。
そんな意味では人さまの優しさに触れることが出来る障害者としての人生も悪くないかもと感じました。
ぼくの乗るフェリーは無事に志布志港に到着したのですがあいにく台風のお迎えに会ってしまい天候は土砂降りでした。
幸いバイク屋さんの甲斐さんにトランポで志布志港まで迎えに来て貰ってたので台風の攻撃に合わずに済みました。
2日ほど甲斐さんの家にやっかいになり霧島の日帰り温泉などを楽しませてもらいながら一人で桜島と指宿にも出かけることができました。
指宿で利用したバリアフリーの宿
指宿での宿泊は国民休暇村【指宿】を利用しました。
現在も施設は経営中でうれしいかぎりです。
脊損のぼくにとって宿を選ぶときの基準は温泉が車いすで利用できるのか?という点が重大な条件です。
ぼくが利用した当時の指宿休暇村は車いすでも入浴が可能な宿泊施設でした。
ただ浴場内で車いすから床へ移乗する際にはマットを用意しタイルで傷や青あざを作ったりしないように最大限の注意をしています。
移乗がスムーズにできるようにプッシュアップや体の保持ができるように普段から体力をつけておくことも大事です。
腕の力や体力が低いと移乗の時にどうしても体を保持しきれずに【ドシン!】と衝撃をおしりに与えてしまいます。
打ち所が悪い場合や体重がかかりすぎると青あざになり褥瘡のキッカケになってしまうので楽しい温泉旅行を過ごすためにも体力を備えておきましょう。
なお現在の指宿休暇村は大がかりなリニューアルでぼくが宿泊した当時に比べさらにバリアフリーがさらに行き届いた施設にグレードアップされています。
またもう一度訪れたいなと思う宿のひとつです。
温泉は濁った泉質で口に含むとしょっぱい口当たりのするお湯でした。
まとめ!
20年以上前の出来事でしたがオートバイと単独フェリー旅行をテーマに備忘録としてまとめた次第ですがいかがだったでしょうか?
ぼくはこの旅を終えてからもしばらくはサイドカー仕様のエリミネーターであちこちツーリングに出かけました。
オートバイでのフェリー旅の機会は2002年ごろに四国の高知ツーリングでふたたびチャレンジしました。
この時も周囲の人たちに助けられトイレが車いすで利用しにくいなどの環境に対処することができました。
感謝の言葉もありません。
高知行のフェリーには【カツオのたたき】が販売されていて仲良くなった大部屋の人たちとその美味しさに感動しながら過ごした思い出が残っています。
ぼくがバイク事故で脊損になるまでのオートバイの楽しみ方はサーキットでレーシングライダーが走るような姿を真似るいわゆる【走り屋】での楽しみ方でした。
でも車いすに乗る障害者になってサイドカー仕様のオートバイに乗れるようになってそんな危険なバイクの楽しみ方は厳禁です。
でもスポーツ走行が出来ないからと言ってオートバイの魅力が無いワケではありません。
カリカリに走ることでしかオートバイの魅力を引き出せなかった僕にまた違う側面のバイクの楽しみ方を教えてくれたのが脊損という障害とフェリー旅だったのではと考えています。
ぜひロングツーリングや単独ツーリングでオートバイの魅力と楽しみ方を広げてみてはいかがでしょうか?
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