身体障害や病気を抱えることで結婚と将来への不安にどう向き合うのか?社会から必要とされるために心がけて置きたい事

32年前の昭和61年6月2日にオートバイ事故で脊髄を損傷し緊急搬送された僕は入院中の病院で障害者認定を受けました。(じっさいオッサン)

入院中は車いすなしでは生きていけない身体となってこれからどうやって仕事を見つけ生きていけば良いのか?

恋人は見つかるのか?結婚はできるのか?そんな深い海のような将来への不安がばかりが大きくなって押しつぶされそうでした。

先日、たまたまツイッターのタイムラインで見かけたフォロー外のユーザーさんのツイートで「病気さえなければ・・・」と言うつぶやきを偶然拝見しました。

どうやらこのユーザーさんは長年ある病気を患い自宅療養中のようです。

気になったので他のツイートを拝見させていただくと病気の影響で働くことも叶わず、結婚に対しての問題や将来にかなりの不安を持っておられるご様子で胸が締め付けられる思いです。

そこで僕の経験と考えをお話しすることで今苦しまれている方の一助になればと思い記事をしたためます。

脊髄損傷の療養中に抱いた結婚への不安

障害者になってしまってもう誰にも(異性)相手なんてされないだろうしもう彼女なんて出来ないし、結婚なんて無理かもしれない。

入院中は確かにこんなことを考えていました。

でも、退院して社会に出ていろんな人に出会いました。

あたりまえですが、健常者だからといって皆さん結婚されている訳ではありませんよね?

僕自身、49年間生きてきて健常者さんとの関わりを通していろんな人たちを見てきました。

そもそも結婚自体に興味がなく独身を貫いている人。

明らかに性格に問題があり本人は結婚願望はあるができない人。

ご事情はみなさんそれぞれでしょう。

問題は結婚したいけどできない場合です。

ご縁のものなのでどれだけ人間性豊かで人徳があってもタイミングが合わなければ無理なものはムリですし、カネがあっても人間が腐ってたら誰にも相手されません。

確かに身体障害があったり持病を抱えて生きていくということは並大抵のことではありませんしハンディがあることも事実です。

それなりの精神力を必要とするのも間違いありません。

ということはこの困難に立ち向かい人間性を養う環境を障害や病気が与えてくれているということにならないでしょうか?

そして、障害と病気に向き合った精神力と人間性を認めてくれる人がきっと貴方にとって素敵なパートナーになってくれるのではないでしょうか?

要するに病気や身体障害を抱えることは確かに出会いの機会損失を受けるものではあるけれど人間性まで否定されるものではないと思うのです。

で、人間的にどうあるか?どう在りたいのかは結局自分次第ということになりませんでしょうか。

すなわち身体障害や病に飲み込まれてしまうとステキな出会いとなるような機会や視点を失ってしまうように思います。

障害を乗り越えるろと世間は簡単にいうが?

障害者になってしまった!あーもう絶望!と自暴自棄になってしまってては何も出会えないし何も生まれません。

毎日、人の目に晒されて「あー可愛そう」だの「頑張ってね」とか「障害者は来るな!」とかウンザリすることは山のように在ります。

ぼくの身体の状態は、症状は固定されていて治療的なものは必要ありません。

自分の不幸自慢をしたいワケではないのですが、慢性的な背中の痛みや腰の痺れで夜中もグッスリ眠れることはありません。

出掛け先で失禁してしまって死にたくなることはもうしょっちゅうですがじゃ本当に死ねるかというと自信はありません。

楽しいことばかりではありませんが苦しい事ばかりでないからやっぱりまだ生きていたいのです。

いま病に置かれている方の苦しみはぼくには分かりません。

でもぼくの苦しみだってあなたには分からないでしょう?

体験したものにしか分からないことが必要とされる

自分にとっては有り難くない身体障害や病気ですが、これはある意味自分のものであって自分だけのものではありません。

世の中、自分が経験し乗り越えた苦痛を必要とする人がいるはずです。

同じような境遇にあるかたはきっと情報を求めているでしょう。

そのご家族や医療に関わる人たちはきっとノウハウとして情報を必要としているでしょう。

身体障害を持ったからと言って、病気になってしまったからと言って社会から完璧に弾かれて置いて行かれる訳ではありません。

自分の意思で自分の言葉や思いを世に解放してやるのです。

ちょうどミュージシャンが自分の想いをライブハウスで訴えるように。

私の貴重な演奏体験から学んだ

僕の体験ですが、僕はライブハウスで演奏した経験があります。

当然僕は脊髄損傷です、だから歩くことも立つことも出来ません。

でも地下の階段しかないライブハウスでアコギ1本の弾き方りでライブ演奏が出来ました。

なぜ階段に自力で降りることが出来ない僕がライブを出来たのか?

それは「やりたかったから」です。

僕がやりたかったから周りの人たちは協力してくれて地下まで車いすを担いでくれました。

この体験で僕は理解しました。

本当にやりたい気持ちがあればみんな協力してくれる。

そこに自分自身を連れ出してあげるかどうかは自分次第ではないでしょうか?

例えば病気のことを知ってほしい、世間に一石投じたい。

その一歩としてライブハウスで演説?みたいなこともできるかもしれませんよ?

そのまっすぐな行動がきっと出会いを導いてくれます。

必要とされるために

脊髄損傷の身体障害者となっての不安は結婚意外にも仕事の問題がありました。

でも、昭和の時代を過ごしてきた人間にとって今の環境なら身体障害は仕事を見つけるうえでそれほどハンディにならないのでは?

そう思えます。

じっさいインターネットの普及でこうやってウェブ媒体を立ち上げて記事を書き投稿することでビジネスに近いことが可能になります。

こうした媒体を持てば自分が体験したこと乗り越えてきたことを発信すればきっと役立つ存在になれるはず。

病気だからって脊髄損傷だからと悲観する必要はありません。

自分が経験した苦しみとノウハウを必要としている人のために役立てる時が来るはずです。

諦めずに発信し続ければきっと必要とされる時が来るはずです。

その喜びとはかなりの生き甲斐となるでしょう。

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ABOUTこの記事をかいた人

オートバイ事故で脊髄損傷の障害を負うことになり車いす生活を送っています。 車いすの生活は2020年現在で34年目を迎えました。 このブログはぼくの車いす人生のなかで全力で取り組んできた経験や出来事をまとめています。 どうぞよろしくお願いいたします。 プロフィールページで触れていますがぼくはギターや音楽にも長年親しんできました。 ゴリゴリの昭和世代のためにいまでもレコードプレーヤーで音楽を聴いていますが音楽関連のガジェットにも興味があり気にいったアイテムをブログでレビューしています。 30年間の脊損人生でチャレンジしてきたことをこのブログでお伝えできればと思っています。 >>>プロフィールはこちら