今回のテーマは偶然に拝見した花嫁さんの嫁入りの様子を映し出した写真を題材に記事を進めます。
令和となった現在ではこのような様子は先ず見ることはありません。
ではなぜ見ることがなくなったのか?その背景について見解を述べます。
嫁入りイベントが廃れた背景
写真にある嫁入りの風習が廃れた背景にはいくつかの問題が複合的に作用していると考えました。
そう考える理由を下記に示します。
- 核家族化の進行
- 集合住宅による団地の発展
- 婚礼家具業者の衰退
- ニトリなどの環境発展
- 車社会の問題
ではそれぞれの問題について触れていきます。
核家族化の進行
現在では結婚後の住まいを親との同居を選択するケースはほぼ見られません。
同居を検討しても二世帯住宅の方法となることが多い印象です。
- 実際ぼくの親のエピソードを紹介
ぼくが幼稚園に入る前まではぼくの父親の実家で同居していました。(70年代ごろの話し)
しかし父親の母からの干渉を逃れるため実家を出て風呂無し、台所と便所共同のボロアパートに引っ越しています。
いま現在ぼくを含め友人達で親同居で生活する人間は存在しません。
団地生活の発展
高度経済成長以降の日本は居住様式が団地へと移行してきました。
団地の暮らしを見ることのできる事例としてスクールウォーズを取り上げます。
このドラマは数々の名作品を世に送り出した大映ドラマの人気作品の一つです。
さてスクールウォーズの劇中で主人公【滝沢】を演じる山下真司氏が暮らす住居がまさに団地です。
婚礼家具などを用意する事例もあったと推測しますが家具を手に入れる環境も徐々に変化してきます。
さらにスペース的な問題もあり大げさな婚礼家具一式を求めるニーズは衰退していったと推測します。
ニトリの登場と婚礼家具業者の衰退
徐々に日本人の生活スタイルが変化してきたことで婚礼家具を用意し嫁入りを迎えるという伝統的風習が減少し婚礼家具業者が衰退し始めます。
その決定的な事例が大塚家具の御家騒動です。
- 大塚家具の事例
大塚家具では先代社長の大塚勝久氏に代わり娘の久美子氏が社長に就任してからのドタバタは世論を賑わせ、おじさんたちの居酒屋トークのネタにされてしまいました。
従来の日本では中国を生産拠点に展開する仕組みが顕在化するまで良質な手作りの製品が職人により供給されていました。
しかしその反面、価格が高いことがデメリットです。
そうした環境を改善したのがニトリやIKEAなどの量販店の存在であり、そのポジションに大きく舵を切ったのが久美子社長の戦略です。
ニトリや通販業の登場により安くてそこそこの品質の家具が手に入り我々は高価な婚礼家具を一式まとめて購入する必要が無くなります。
- 結婚相談所のビジネスモデル紹介
結婚相談所の利用で家庭を築くことができた友人の事例から婚礼家具会社の衰退を示すエピソードを紹介します。
▼結婚相談所のビジネスモデル
友人は家具販売店が主導する結婚相談所から人生の伴侶と出会いました。
【奥西木工】
この結婚相談所の利用は有料ではあるものの一般的な相場から比較するとかなり安い費用でお相手を紹介してもらえるところが魅力でした。
つまり結婚成立となった時にこの家具販売店から婚礼家具を購入することが狙いであり最終的なバックエンドです。
結婚相談所はいわゆるフロントエンドの構成です。
しかし昭和の時代に通用していたビジネスモデルもIKEAやニトリの登場とSNSやマッチングアプリなどの存在により古き良き結婚相談から家具購入へのビジネスモデルは対応することが難しくなり5年ほど前にこの家具屋は廃業しています。
へんぴな郊外にある家具屋とはいえ駅前に存在した跡地はおしゃれなマンションが建設されました。
車社会の問題
写真を撮影された、この場所は今では舗装され道幅が狭い道路となっています。
写真の位置関係では酒蔵のある南側から本家のある北側へと道路を横断しようとしています。
西の方角に500メートルほど進むと渋滞が目立つ国道が通っているため花嫁さんが横切る道路は実は現在、渋滞を迂回したクルマがびゅんびゅん通る状態です。
つまりこの写真にあるような花嫁衣装を着てしゃなりしゃなりとゆっくり歩くことができない環境になっています。
車社会の弊害もこうした嫁入りの風習を廃れさせた要因ではと考えます。
付近の道路は地元住民以外の車の通行で事故も多く問題となっています。
まとめ!古き良き伝統が廃れた要因は?と今後の展望
写真にある嫁入りの風習が廃れた要因を総合的にまとめると日本人の生活様式の激変が原因ではないかと結論づけます。
要素でまとめると下記の構図です
- 住環境の変化
- 親子関係の繋がり
- コモディティ商品の流通
- ナウいトレンドの風潮と時代に合わせたビジネスモデルの登場
このような背景が写真にあるような風潮が廃れたと結論づけます。
今後はこのような図式は加速する一方だと思われますが、残念ながら失ったものも大きいと推測します。
そう言う根拠は子供の預かりの問題です。
じじ様やばば様の存在が両親が仕事で不在の受け皿になってくれます。
そのためには年配者が疎まれる存在ではなく敬われる存在になる必要があります。
つまり年配者が疎まれている事態も深刻です。
あくまで個人的に思うことですが年寄りや年配者の経験からくる知恵袋としての役割りがネット検索で得られる情報によって存在価値がなくなってきているように思います。
つまり知っているだけの事を偉そうにネチネチいうおっさんに聞くくらいならネットで調べたほうが楽だし、早い環境です。
そんな意味で年配者は必要とされにくくなっていると感じます。
実際僕も昭和43年生まれのおじさんとして若い人たちに必要とされる存在かと言うと自信がありません。
いわゆる老害のような存在にはやはりなりたくありません。
ネットで無料で利用できるデータベースが構築されるいま、年配者が備えるべき要素が人間性だと思います。
実績や財力も喉から手が出るほど欲しいです。
でも一方で【ちゃんとしていたい】。
経験から得た素材を学びとして伝えながら家族や若い人たちから評価される老人になれたらなと思います。
誰とはいいいませんがニュースで伝える老害者たちの行いに若い人はウンザリしているのではないでしょうか?
僕自身も身近な存在の年配者に良い事例を見かけることが非常に少ないです。
もうこの時代において年配者だからと言って踏ん反り返り何もかもが許される時代ではないことを当事者は戒めとして認識するべきです。
彼らに良識を求めます。
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