人間の存在を宇宙レベルで考えてみます。
比較の軸に地球の存在も含めてみました。
人間の価値と存在
マウントを取るという表現があります。
自分の持つ知識で人を支配しようとする状態です。
知らない<知っている
知っているから偉いという考え方が成り立っているようです。
身近な人で思い当たる人はいませんか?
顕著な例としては能書きジジイです。
ご本人さまは知ってるというだけで偉くなっているつもりです。
なぜ偉くなったつもりになれるのか不思議です。
所詮は二次・三次情報がソース
気持ちよく知識をひけらかしているつもりでも大元の情報が二次・三次情報だったりします。
つまり新聞で読んだとか、テレビなどのメディアで知ったレベルです。
もちろん知らないよりもマシです。
けれど威張れるほどのことではありません。
しかし話題の書籍【嫌われる勇気】を読んでピンとくる内容がありました。
つまり承認欲求だったのです。
知っていることはそれほど偉いことになる?
知識は大切です。
ぼくもバカなりに本を読んで勉強します。
でも知ってるだけでは意味がありません。
要はその知識を活かしてどんな結果を生み出せたのかです。
つまり行動レベルにまで発展させたのか?という結果です。
もちろん失敗だったって良いのです。
しかし残念ながらワーワー言うだけの人はなぜだか行動の伴わない知識レベルだけで気持ち良くなっています。
自分がどれほどイタイ存在なのか。
そんな情報すら把握していない所が不思議です。
さてこんな大先生が寿命を全うされても100年ぐらいしか生きることはできません。
宇宙と地球
我々人間は長生きしてもせいぜい100年。
では宇宙や地球は?
地球が誕生しておよそ40億年です。
宇宙は100億年だそうです。
そんな地球の四十億年という時間を30センチ定規に置き換えて考えて見ます。
地球のこれまでの時間を30センチの長さとします。
では人間の一生は地球40億年の中でどれほどの長さを持つでしょうか?
この時間軸で比較すると人間が100年生きたところで、おそらく1ミリにもならないと思います。
つまりワーワー言ったところで人間の存在なんてそんなもんなんです。
目くそと鼻くその闘い
二次情報から得た知識とスケールの小さな関係性の中でお互いを見下し合っています。
つまり目くそが鼻くそを笑っているようなものです。
自分のことが見えてないだけです。
必死に知識をひけらかし、見ているだけで恥ずかしくなります。
立派だと思っている自分自身は一体何者なのか良く考えてみましょう。
行動し解決するための知識を学ぶべき
世の中や生活の中に問題は溢れています。
ひけらかす知識ではなく、マウントを取るためではなく知識は問題を解決してこそ有益となります。
知識のムダ遣いは慎むべきです。
長生きしたところでせいぜい100年の存在です。
宇宙規模から見たら瞬きの時間にすら値しないかもしれません。
そんな宇宙規模から考えると人間の存在なんてみんな鼻くそのような存在です。
宇宙スケールの中ではお金持ちも貧乏人も、健常者も障害者も大した違いはありません。
みんな瞬きのような一瞬の時間軸の中で死にゆくだけです。
だからこそ自分は脊髄損傷として社会に役立つ存在でありたい。
自分が生きた人生の中で爪あととして行動した結果を遺したい。
この本を読んでそんな気持ちを抱き、記事にしたためました。
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とりとめない内容になってしまいましたが、概ね本心です。
もしかしてオレのことか⁉︎と不愉快な気分になられた方がいらっしゃるなら全力で反省し、今後は全力で自分の人生を生きる事を提案します。
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