現在NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」では後半部分に差し掛かり井伊家の再興を目指し徳川家に使える菅田将暉さま演じる井伊万千代が活躍している所です。
ざっくりですがこれまでの井伊万千代の活躍と出来事を改めて確認してみます。
万千代は上昇志向が強くこの性格と行動力を顕著に表しながら草履番からお役目に励みます。
潰れた武家の出身である事をバネにし、草履番から小姓を経て主君徳川家康を寝所で曲者から命を奪う危機を助けた事で一万石の知行を与えられるまでに出世を果たします。
その結果、家老達が軍議を行う場にも加えられるようになります。
このような井伊万千代のガツガツした行動の中で描かれる武家での上下関係を現代の人間関や社会組織に置き換えて見たいと思います。
今回の説明と解釈についてはあくまで当方の解釈であります。
知識不足で異論も抱かれることも当然と存じますが、ここは一つ『アホなことゆうとんな』という温かい眼差しでご覧いただきとうございまする。
戦国時代の武家を現代社会に当てはめてみた
織田家や豊臣家、徳川幕府として君臨した徳川家などの錚々たる御武家集団は戦国時代においては超巨大企業あるいは行政や自治体という位置づけになるかと思います。
徳川幕府として長きに渡り日本を統治した徳川家はもはやひとつの国家を治める地位にまで登り詰めた勝ち組。
そのような徳川幕府を築く徳川家康であっても織田信長と同盟を結び武田信玄亡き後の武田家と領土を奪い合う時代には東海や東日本の中での地方企業であったワケです。
織田信長と徳川家康が同盟を結ぶという事を現代に当てはめた解釈をしてみると…
例えばコンビニグループの合併
最近ではファミリーマートやサークルKがローソンと合併すると発表し順次店舗の改装が進んでいます。
このローソンが立ち向かう相手はセブンイレブンでしょう。
ローソンやファミリーマートなどが協力しあい一体化することでセブンイレブンのシェアを奪い取る作戦です。
規模の小さい組織が手を組み巨大組織に対抗しようとするセブンVSローソンの図式と戦国時代の同盟はとても似ています。
例えば日産自動車の傘下に入った三菱自動車の関係
不祥事を起こした三菱自動車に対しての後見人の様な役割となった日産自動車。
三菱自動車はニッサンから二千億円もの巨額な資金提供で傘下に入ります。
どちらかの企業がイニシアチブを取り主導権を握り力関係が明確な状態では織田家に従っていた時代の徳川家の関係図式に似ていると感じます。
井伊家と今川家の関係性
井伊家が今川家に仕えていた図式を現代企業組織に当てはめると巨大企業の今川家に仕えた井伊家はごくごく地方の小さな零細企業と言ったところでしょうか?
圧倒的な支配力持った今川家に井伊家や国衆と呼ばれる規模の小さな武家は織田信長に敗れた「桶狭間の戦い」などの戦さ場に駆り出されさぞかし中小企業的な苦しい立場だったでしょう。
おんな城主直虎では井伊万千代の働きにより井伊家が再興され万千代は井伊直政として最終的には徳川家康の重要な役割を果たす家臣となります。
その結果直政は現在の滋賀県彦根市の彦根藩主となるまで出世を果たします。
井伊直政の出世と徳川家との関係性を現代に当てはめてみる
直政は滋賀県の彦根藩主となりましたが現代に当てはめると都道府県の市長あるいは知事に任命されたということでしょう。
もし仮に徳川家をトヨタ自動車とすると直政は『レクサス』の社長さんを任されたという所ですか?
間違っていたらごめんなさい(そもそも仮定の話ですが)。
侍さんや武士の立場
武家に仕える武士や家老の立場はもちろん現代の会社員の立場と言って良いでしょう。
今回の題材の直虎以外にも戦国時代を描く大河ドラマをここ数年見続けていますが武将其々が自分の得意分野を持っている事が分かります。
武士やサムライというと常に刀を携え、戦さ場では勇猛果敢に武功を挙げることに邁進する。
そんなイメージを持っていましたが、全ての武将がそのようなポジションと役割りでは無いようです。
以前の大河ドラマ「軍師官兵衛」や「真田丸」で登場した豊臣秀吉の家臣「石田三成」知将的な武将ではないかと思います。
官兵衛や真田丸どちらのドラマでも石田三成は計画を立て生産管理のような総務部長的な働きを得意とする部分が描かれてます。
官兵衛が戦さ場での戦略を練る軍師であれば三成は組織全体を把握する統括的な役割である様に思います。
さしずめ各々の事業課をまとめる統括管理部長と言うところですかね。
三成はこうした統括管理のトップに対し軍師としての官兵衛はいち事業部の戦略管理部長程度だったのかもしれないと思うのですが如何でしょうか?
徳川家康の石田三成的な存在は?
豊臣家で政治的な役割を果たした三成ですがおんな城主直虎では尾美としのりさん演じる徳川家臣「榊原康政」がぴったりくる存在に思えます。
秀吉亡き後、天下分け目の一大決戦「関ヶ原の戦」では西軍のリーダーとして活躍する三成は豊臣秀吉から信頼を得た人物と思われるます。
この様な存在感ではおんな城主直虎の中で描かれる家康が万千代の能力を認め信頼していく様子が良く似た関係性に思えます。
しかし三成や榊原は政治的手腕を発揮した事に対し万千代すなわち直政は武勇の能力と政治的な能力も兼ね備えたいわば「文武両道」
な存在。
結果的に彦根藩を任される間違いない人材であったと言うことでしょう。
徳川家臣団の中で榊原康政や豊臣の三成の真逆の存在として当てはまる人物はやっぱり高嶋政宏演じる本多忠勝や織田信長に仕えた柴田勝家あたりがぴったりくると考えます。
どちらの武将も戦さ場での働きを得意とするイメージで武勇に出でた存在はまさにザ戦国武将。
乱世の戦国時代を生き抜き仕えたお家を繁栄させるために戦さ場で文字通り「死に物狂い」で戦った武将はさしずめ高度経済成長を築き支えてきた我々のお父さん世代の存在を重ねてしまう。
乱世の戦国の時代が豊臣秀吉の天下統一や徳川家臣が天下安泰させるとこうした武将は活躍する場は無くなって行きます。
一方平成の世となった現代社会はITは当然のI oTやAIなどの人口知能や技術革新が進み何十年後あるいは数年後には存在しなくなる仕事が出てくると聞き及びます。
必死になってリアル重労働に従事し組織や業務に邁進してきた仕事はもはや評価されない働きとして認識されつつあります。
実際の事例では産業機器や食品生産などの業務改善がその際たる例でしょう。
これまでは作業員や社員が生産ラインでこなしていた手作業は現在ではスゴイスピードで機械化や自動化されています。
人間が手先を使う業務自体はどんどん淘汰され代わりに知的労働的なデジタルな役割が多くなっているのは今更言うまでもありません。
戦国時代が終焉を迎えた時に淘汰された武将と同じように現代に生きる我々も整理されようとしています。
まるでこの世は闇で暗黒の時代に進んで行くようです。
まとめ!乱世を生き抜くために
ですが物事は考えようかもしれません。
人口知能だ、デジタルだI oTですぞと世界はその方向に進んだとしてもなにがしか絶対にアナログ的な物は残り人々から寵愛され求められる「モノ」は必ず「有ります」!
もし自身の性分でデジタル的なものでは能力を発揮する事は難しいし苦手で大嫌い!
ならばもうトコトン「アナログ的なモノ」を追求しましょう!
大舵を切りましょう!
そしてその見つけたアナログなモノで突き抜けましょう。
でなければ我々は淘汰され人員整理の憂き目に遭うのは間違いありません。
最近の時事ニュースに清水アキラ氏が息子である良太郎の不祥事に対して「薬物は身を滅ぼすが芸は身を助ける」と父親として見解を述べています。
ずいぶんと話しが大袈裟になってきましたが戦国の世にしがみつき淘汰され行き場を無くした武将や現代の会社や組織にしがみつき出勤している時間中「給料は保証される時代」は終わりました。
この保障されないという不安は怪我や病気、身体障害による働けない「リスク」に繋がります。
リスク回避の側面という意味でも自分らしい生き方を送るためにも我々は何らかの「芸」を身に付ける意識と危機が迫っているのかも知れません。
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