人間誰しも良き伴侶と出会いパートナーと幸せな人生を送りたい。
別に結婚だけが幸せの方法では無いがやはり結婚というイベントに幸せの象徴としてのイメージを抱いてしまうのも確か。
だが障害を抱えて生きることになった人間にとってビビビッとくるパートナーと出会ったとしても色々と問題は発生する。
その問題はハードや物理的な問題ではなく心理面での葛藤や気後れから人間関係の距離を縮めることに躊躇する場合がある。
その心理は異性だけではなく友人の関係にまで及び、要するに障害者となったことを受け入れられずに気持ちを切り替えられない状況にある訳です。
脊髄損傷の人生30年余りを生きてきた経験をもとに健常者から障害者として気持ちの切り替えに苦しんだ事や恋愛を含む人間関係に対して心理面での抵抗と障害者を持つ人間から見た健常者さまの反応などを結構ねじくれた視点でまとめてみました。
障害を持つ当事者本人が壁を勝手に作っている
歩くことが出来なくなったことや車いすに乗る障害者になった事を受け入れられず、悲観的になります。
健常者のころに出来ていたことが障害をもつことで以前と同じことが出来なくなり絶望的になってしまいます。
(そりゃそうだ)
出来なくなったこと、失ってしまった事に未だ拘り続け意識の切り替えができないまま新しい一歩が踏みだせず全てを遅らせてしまいます。
(切り替えたら行動は早いぞ)
こうした気持ちが積極的に友人を遠ざけ交友関係を持たなくなって行きます。
(相手にされなくなります)
周りの友人は塞ぎこみ家に引きこもっている状態は良くないと心配してくれますが、障害者となった自分の姿を人目に晒すことに恐怖心を抱いているので友人からの誘いは迷惑なだけであってちっとも嬉しくありません。
(自分はおいて行かれたみたいな気持ちにもなる)
機会あるごとに声を掛けてくれていた友達からの誘いも断わり続けているその内に連絡も無くなっていきます。
(さようなら友よ)
こうして気難しくて孤独な身体障害者が出来上がります。
(ネガティヴマシーン)
障害特有の症状や体調のせいで外出が億劫になる
脊髄損傷にとってはやっかな問題に排泄の障害があります。
この部分については障害の部位(脊髄を損傷した部位や損傷の程度)によって症状は異なり個人差が発生します。
オフィスkazuhikoは排泄障害があるので、おしっこや大便の排泄感覚はなく失禁することもあります。
オシッコは約2時間おきにお腹の膀胱辺りを押して排泄するか、カテーテルの導尿で排泄します。
ダイベーンについては3~4日おきに排泄しておきます。
しかし尿意や排泄の感覚そのものがないのでちゃんと管理していても時には失敗してしまうことがあります。
オシッコ程度の失敗なら下着とズボンを取り替えるだけで済むのですがダイベーンの失敗はなかなかそう簡単には行きません。
ダイベーン失敗の後処理はもちろん大変でウンザリすることですが、それよりもダメージがデカイことがメンタルが大きくヤられてしまいます。
大げさですがダイベーンのシッキーン事故は人間の尊厳さえも否定するに値します。
まあそんなにしょっちゅしょっちゅう頻繁にウンコを漏らす訳ではないのですが(年に1回あるか無いかの頻度)やはり外出や人間関係の中での緊張をもたらす要因ではあります。
要するに狙っていたお嬢様とやっとおデートの約束を取り付けた!嬉しい!でもウンコ漏らしたらどうしよう?!
大好きなご婦人とのおデートの最中にそのようなトラブルが発生しないかと前日からもう気が気でなりません。
このような事が付きまとう環境なので人によってあるいは障害の程度によってはどうしても外出が嫌になり家に篭りがちになる要因があります。
(障害うんぬんウンコ云々より元々の性格の影響がだいぶデカイかも)
これまで出会った障害をお持ちの方の中には、こういった排泄の問題でやはり進んで外出しようとせず内向的な生活を送る傾向があります。
(またまたネガティヴマシーン)
見た目のコンプレックス
そもそもの問題で車いすの人生になってしまった事を受け入れられてないので、コンプレックスを抱いてしまうのでしょう。
(自分もそうだった)
どんなに開き直ってもコンプレックスは無いのか劣等感は持たないのか?と問われれば無いと言えば嘘になります。
しかしどんなに悔やんでも恨んでも、拗ねたところで障害者である事実は変わりません。
不幸にも脊髄損傷となり入院した病院で社会復帰のリハビリがスタートしても気持ちが切り替えられていなければ本当の社会復帰は始まりません。
グズグズネチョネチョ悔やんでも社会復帰の一歩が進まないだけです。
大好きなご婦人やパートナーと出逢いや幸せのタイミングを自分で遅らせて機会を自ら閉じてしまっている事に気付きましょう。
(ぼくは気付きました)
ヒガミ根性幸せを遅らせる
アタマでは僻んだところで仕方がないと分かってはいてもついつい出てしまうヒガミ根性。
誰でもあるヒガミ根性ですがあまり行き過ぎると、見苦しいだけの被害妄想となり誰の共感も得られません。
そんな事を100年言い続けたところでアンタは大金持ちになり崇拝され人々の注目を浴び尊敬され必要とされる存在になれるのかと言いたい。
時にはヒガミたいときも人間なら確かにありますが笑い話で終わるぐらいに程々にしておきましょう。
例え障害者に産まれたとして、事故や病気で障害者の人生を送ることになったとしてもこのインターネットを閲覧できるIT社会の現代の日本に生きていると言うことは成功者の仲間入り出来る可能性を秘めています。
障害者である事が全ての可能性が閉ざされた訳ではないでしょう。
お金持ちになりたければ株式投資やFXトレード、あるいは最近流行りのビットコインなどの投機トレードを勉強しながら慎重に取り組んでいけば億を稼ぐことも夢ではないでしょう。
(私も夢みています)
最近のトレードや株式投資はパソコンはもちろんスマホで注文し決済出来るので障害があっても殆どの方が対応出来るでしょう。
お金持ちにはなりたいけど株やFX、バイナリーオプションなどの金融取引は資産を飛ばしてしまいそうでイマイチやる気が起きないならブログで記事を書き広告収入で生きて行く方法だってあります。
(私も頑張っています)
このような働き方は管理人が20歳の頃の1990年代にはありませんでした。そう言う意味ではこの2020年東京パラリンピックまであと3年という節目に来ている現代は意識とやる気次第で障害者であっても戦うことが可能な社会であると言えます。
従ってそのような関心を持つことが非常に重要であり、泣き言なんて言ってられません。弱い奴は淘汰される・・・
悲しいですが現実です。
身体的に強く無くても意識として強くなりましょう。
こんな歪んだ障害者のお相手になってくれる女性とのネガティヴなテーマと問題
子供が出来ないと言うディープな問題
これも障害をお持ちの方の状況と損傷程度によって脊髄損傷の全ての男性がコウノトリさんに依頼出来ないと言う事ではありません。
(ぼくはコウノトリさんに連絡する方法を断たれてしまいました)
近頃は最先端医療の研究で機能復帰やipsサイボーグなど脊髄損傷さえ歩くことが出来るようになると言われています。
脊髄損傷の男性が医療のサポートによってコウノトリさんに連絡が付くと言う事例もあり勇気が湧いてくる環境ではあります。
しかしやはりそう簡単ではないのも事実。
(実際お金もかかる)
この辺りはお相手のお嬢様とお付き合いが始まりお互いの存在が只者ではないと思えるようになった段階でこのテーマについてご検討されるのがよろしくかと思います。
ですが管理人の経験ではこの段階でお相手お嬢様がコウノトリに連絡つかへん男性なんて有り得へん!それは無いわ!
そんな反応を示すご婦人はまず無かったです。
反対材料があるとすればお相手さまの親御さまですね。
こちらもなかなかシリアスなテーマですが開き直るしかありません。
関連記事→脊髄損傷の障害者が健常者のお嬢様と結婚!?親御さんの障害者に対する偏見と戦うには開き直るメンタルが必要って知ってる?
最初から色々なリスクを含んでいる
関連記事→ハイドロサイトジェントルを使ってみた!脊髄損傷の褥瘡ケアと予防に効果的!!
ただ歩くことが出来ないだけなら良いですが、下半身不随であることで体調や怪我に関わるさまざまなリスクを抱えている事も確かです。
ひとつは身体に麻痺がある事で臀部や腰に床擦れ(褥瘡じょくそう)が出来る事があります。
じょくそうになってしまうと最悪のケースでは仕事が暫く休まなくてはならず入院や手術となる事態になる事も少なくありません。
(ぼくは褥瘡で2回手術しました)
(仙骨部に水がたまる滑液包炎に悩まされた事もあります)
そう言う意味では何が起こるか分からず万が一の怪我の場合の保険など加入しておいた方が良いと思ってます。
(実際に車椅子で歩道をガシガシ漕いで居て段差につまづき吹っ飛んで腰を強打し股関節を骨折したので保険に入っておいて良かった!)
良かった!というブルゾンちえみさん。
こんなリスクを抱えている人間と一緒になってくれるご婦人の特徴
人間性を評価してくれている(と思っている)
必要な時しか手助けしない
基本的に冷静な対応でクール
悲観的な考え方や捉え方をしていない
車いすでの生活や障害を抱えている事を別に何とも思ってない
障害を抱えて生きる事になった障害者を可哀想とか不幸だという視点で見ていない。
どちらかと言えば変わってるしマイペースで基本的に自分の意見を持っている
周囲に流され派閥の女子グループに進んで加わるような性格ではない。
障害を持つ人間との付き合いを通して体験と経験を新鮮な出来事として楽しんでいる。
人からどう見らても干渉されても自分は自分と言う意識を持っている
障害者を捕まえて頑張れと励ます人の特徴
(かなり捻くれた思考の文章です温かく広大な心でお読みください。)
障害者を可哀想という視点で人を見ている。
人を不幸にする事でどこかで自分はまだ幸せな部類だと安心している。
不幸な障害者を捕まえて励ますことで気持ち良くなっている。
オマエに夢がないクセに夢を求めてくる。
障害者は何事にも頑張っていて心が綺麗で純真無垢な人間で一生懸命生きていると勝手に感動している。
非常に不愉快な思いをさせてしまって居たら申し訳ございません。
どうぞ炎上させてください。
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