脊髄損傷の障害を負った経験から失ったモノとどう向き合うか?をテーマに機能障害と障害への受けとめについて自分の考えと体験を述べてみます。
身体障害を負った経緯
自分はオートバイ事故が原因で脊髄を損傷し歩くことも立つこともできなくなり1986年6月から車いすの人生を送っています。
健常者として過ごした17年間より障害者としての時間が長くなってしまいました。
下記プロフィール記事で自己紹介しています。
逆にカッコつけた言い方をすれば障害を乗り越えて?長生き?できているという表現もできます。
こんな長い車いす人生は36年目を迎え、歩けないことの悲しさなんてほぼ皆無の心境です。
しかし今でこそこんな強気な姿勢ではいますがやはり受傷した当時から数年は考えなくても良いことが頭に浮かびます。
正直な気持ち「こんな体で生きてたって意味ないんじゃない?」と思うこともしばしばありました。
ではそう思える身体障害の詳細と過ごしてきた人間関係のなかで心が痛むエピソードに触れておきます。
身体障害と失ったモノ
自分が負った身体障害を負ったことで失ったモノを説明します。
あくまでサンプルが記事を書く運営者の状況を示しているだけであり脊髄損傷者すべてがこの事例に当てはまるものではないことを強調しておきます。
▼身体機能面
- 歩行機能
- 体幹機能
- 排泄機能
- 生殖機能
障害の詳しい状況については下記の関連記事にて解説しています。
>>尿路感染リスク軽減が特徴のSpeediCathNaviを脊損目線で評価【セルフカテとの比較】
>>脊髄損傷を負った35年後の後遺障害の状況と対応方法まとめ【2021年度版】
▼社会生活およびアクティビティ面
- オートバイに乗れなくなりレーシングライダーの夢を断たれた
- 当時定時制高校に通っていたが設備環境面で復学できないと通告され退学
- 結婚への夢
脊髄損傷による機能障害によって、まあ大げさに言えば人生に絶望を感じます。
当時単車しか頭になかった若かりし頃のyasui少年は歩けなくなったことよりバイクに乗れない体に悲観しました。
中卒で働いた僕は受験勉強をがんばって定時制高校に入学しなおしたばかりなのに退学を決める悲しい決断も迫られます。
淡ーい結婚への夢も身体障害を負ったことで希望を持てません。
病室で過ごしているとリハビリ以外はやることがないので時間を持て余します。
つまり悲観し考えなくても良いことばっかりがアタマに浮かびます。
失ったモノに意識がフォーカスし過ぎるとすべてを否定的にとらえてしまうのです。
しかしそんな悶々とした気持ちであっても日々は過ぎていきます。
いつの間にか1年半を過ぎようとした入院期間も次のステップに移るため社会復帰訓練を目的としたリハビリ施設への入所が決まります。
リハビリ施設への入所と心痛む出来事
リハビリ訓練施設で社会復帰を模索することが狙いでした。
そこの施設では自分と同じようにケガや病気で身体障害を負った人たちで生活を共にしました。
身体障害も人それぞれです。
脊髄損傷あるいは頸椎損傷の人でも歩行や立位が可能な方もおられます。
脳梗塞などで半身麻痺の障害を負った人。
脳梗塞などの病気が原因で健常者の頃と歩く機能は変わらないのに言語障害を負った人。
みんな障害はそれぞれ違いますが思い通りに動かせない体にイライラしたりできなくなったことを悲観します。
でも人間はスゴイもので障害を負っても適応していけたりするんですね。
失った機能はあるけれどリハビリや人間の順応性で欠損した機能を補っていくことが可能です。
その結果が脊損として36年目を生きてるぼくの現状です。
▼ショッキングな出来事
そんな中で自分と同じ脊髄損傷を負う男性入所者さんが施設を抜け出し自死を選びました。
この入所者さんは歩行・立位も可能な受傷レベルで自分と比較してもかなり障害は軽い方でした。
しかし自死を選ばれました。
その理由は障害を負ったことが理由だったのか?あるいは障害とは全然関係のない問題だったのかもしれません。
僕はおそらく障害を悲観してのことだったのではと捉えています。
障害を負ったばかりの面々が一緒に暮らす空間ですからみんなだいたい思うことは同じです。
身体は障害に順応する力を備えているのに失くしたモノにフォーカスしてしまい結論を出してしまった悲しい出来事でした。
失ったモノとどう向き合う?障害受容と受け止め方
意識が失ってしまったモノへフォーカスし過ぎると悲観的な考えに陥りがちです。
とくに身体障害を負ったときには。
気持ちの切り替えが大事だ!
気分転換が必要!
よくそんな言葉を聞きますが闇の真っただ中にいる人間にはなかなかできません。
勇気づけられても余計にうっとおしいだけ。
けれど悲観していてもどうしようもない。
結局は自分で何かを見つけるしかない。
なにかの言葉だったり意識が変化する気づきのタイミングだったり。
自分の場合はもう一度オートバイに乗ることが原動力だった気がします。
入院中ずっとオートバイに乗ることを考えてました。
当時レーシングライダーに片山敬済さんというホンダの専属選手だった方に強い憧れを抱いていました。
レーシングライダーが活躍するのはいまで言うMotoGPです。
自分の時代は世界選手権レースと呼んでいました。
この舞台に憧れていたことが車いすフェンシングへとつながりさらに世界選手権出場につながりました。
>>車いすフェンシングの経験者として語る競技スポーツの学びと有用性【ゾーンの瞬間】
>>【講演レポート】城陽市立古川小学校での障害者理解教育授業の内容と評価
オートバイを起点にフェンシングへと出会いがつながり学校講演につながっていきました。
フェンシングの海外遠征に役立てようと英会話教室に通いはじめたキッカケでいまのお嫁さんとも出会ってしまってます。
もし自分が受傷当時、失ったモノにフォーカスし過ぎていたら人生はどうなっていたでしょう。
切り替えが大事だなんてカンタンには言えないですが結局変えられるのは自分しかいないです。
>>【生き方】脊髄損傷者としての生き方と気持ちの切り替えは「治らない」と諦めたこと
自分にとって機能障害はたしかに軽いモノではなかったですが「オートバイに乗りたい!」の気持ちを持ちながら自然な成り行きまかせで生きてきた結果です。
もちろんオートバイへのミッションも達成してます。
下半身不随でサイドカー付オートバイに乗りたい!を達成した改造内容まとめ
車いすに乗る環境ですが移動カフェの開業にも挑戦できました。
障害と現実を受け止めつつ何かを見つけていく。
あとは日にち薬のように時間が解決していってくれるのではないでしょうか?
受け入れてからが逆にスタートかもしれないです。
失ったモノとどう向き合うか?のテーマで記事を書いた理由
今回のテーマで記事を用意しようとした経緯に触れておきます。
このデジタルな時代において自分のメディアを持てることはひとつの恩恵です。
下記の関連記事でWordPressでブログを開設する魅力に触れてみました。
そしてブログに自分が経験した脊髄損傷の知識やノウハウを紹介することで誰かの役に立ちたい。
けれど記事の書き方の要点がイマイチ良く分からない。
初期のころの記事なんて相当ひどい内容のもあります。
そんな問題をなんとかしたいと思っているときに知ったのが内藤勲さんという方。
この方が運営されているコンテンツは【ネットでファン】をテーマに発信についてノウハウを提供されており参考にしてました。
最近になって内藤さんがオンライン講座をスタートするというメルマガからの案内がありライティング講座を受講し始めました。
早速受講したコンテンツで【幸せなホームレスと不幸なサラリーマン】という題目のレッスンがあり失ったモノにフォーカスすることの損失がテーマにされる内容でした。
そこでアウトプットを兼ねて自分の経験に置き換えた発信が今回の記事です。
なるほどと思っていただける内容になっていればうれしいです。
ちなみにネットでノウハウとかなんとなく胡散臭いイメージも抱くかもしれません。
でも内藤さんには個人的に信頼おいてます。
内藤さんは若い頃?スキーをされていて僕もフェンシングをしていたのでなんか勝手に親近感を抱いてます。
ハナシ口調も柔らかく押しつけがましくないので好感を抱いてますがぼくの恋愛対象は残念ながら女性です。
内藤さんには奥様もいらっしゃるのでぼくのジェンダーがトランスしたとしても意気投合することはあり得ないでしょう。
面識もありませんが自然体での発信のコツを学びたいなら内藤さんのレッスンをおすすめしたいです。
内藤さんのライティング講座の印象を下記の関連記事で詳しく説明してます。
コメントを残す