劣等生の意識を変えた出来事と知らない自分を発見した瞬間!苦手意識の盲点と解決方法

僕は勉強が苦手です。

苦手と言うよりも嫌いです。

そう『ある出来事に出会うまでは・・・』。

ずっと苦手意識を抱え遠ざけていた勉強に対するイメージを変えることが出来た出来事をご紹介しましょう。

九九が言えずに先生から虐待

僕は宿題なんて一切やらない主義の子供でした。

当然、日頃から学校の先生に標的にされ目の敵にされます。(標的にされるお前に原因がある)

そんな時に算数の授業で九九を覚えるコンテンツと先生の襲撃が僕を襲いました。

クラスの他の友達は九九を覚えるために文房具屋さんで購入できる文具で一の段から九の段まで書いたツールを作り皆んな頑張って覚えていました。

ですが僕は全くそんな事に興味は無く、宿題なんてそっちのけで遊んでばかりいました。

そんなときに先生の襲撃をくらいました。

九九を覚えた理解度を確認するために生徒をランダムに差して諳んじて(そらんじて)言わせるイベントが始まりました。

ドキドキしている僕にやっぱり順番がやってきました。(ドキドキするくらいならちゃんとやれば良いのに)

何にも努力していない僕は言える筈も無く、黒板の前に立たされて先生から皆んなやって来ているのにアンタだけだ!とかナントカかんとかとこっぴどくバカにされました。

この出来事以来僕は好きになれなかった算数と勉強全般がさらに嫌いになり以前よりも勉強しなくなったのは言うまでもありません。(本当は自分の努力不足であるのは言うまでもない)

こんなイベントがあり自分は勉強は向いてないんだきっと馬鹿に違いないと思い続けていました。

要するに劣等生ですね。

劣等生を自覚していた僕は高校進学なんて「ゆめゆめ」ムリやと諦めていました。

家も貧乏だったので学費のことを考えると中卒で働くことを選択しました。(本当は自分の馬鹿を棚上げして家が貧しいことを理由に進学を諦めた体をとっていた)

しかし人生何がキッカケで自分が変わる出来事がやってくるのか分かんないもんですね。

中卒で就職した金型設計製造の有限会社(要するに鉄工所)で2年ほど勤めていました。

たまたま定時制に通うバイク友達が「お前も定時来いや」の何気ない一言が僕の人生が動き出すキッカケを作りました。

実は自分自身でも薄々、暗いジメジメとした工場でこのままやりたい事も見付けられずに一生ここで終わっていくのかと不安と言うより恐怖を感じていました。

そんな悩みを抱いていたタイミングの友達の誘い(関西ではツレと言いますが関東でもツレち言うのでしょうか?)は僕にとっては渡りに船だったのでしょう。

早速僕は翌日に会社を今日で辞めたいと唐突に専務に告げ出勤することを止めました。

良識ある社会人は普通はそんな態度はとりません。

予め退職したい日数の余裕を持って意思を伝え打診を図ってから職場を辞めますが、この頃は17歳の世間知らずのクソがきだったので大人の常識なんて全く意識していませんでした。

鉄工所の皆さんは最終的には受験頑張れよとボールペンの餞別を賜り送り出してくれました。

鉄工所を辞めてからの僕は直ぐに卒業した中学校に連絡し定時制を受験したい旨を伝え嫌いだった勉強に励むことになりました。

不安だった定時制の受験でしたが友達に合格発表を見について来てもらって無事入学を果たしました。

最初は定時制なんて誰でも合格するもんやろうと適当に考えていましたが、現役の中学生の生徒が合格発表の現場で落ちていたのを目にして定時制を不合格になるほど馬鹿では無かったと変に安心してしまいました。

けれど僕にとって最大の試練が定時制高校入学の2ヶ月後にやって来ます。

中型免許を取得し中学生からいつかは絶対に乗りたい夢のオートバイ「ヤマハRZ250R」を購入し一週間後にカーブで転倒し脊髄損傷の障害を一生背負って生きていかなければならない身体になりました。

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事故の後遺症で立つ事も歩く事も出来なくなった車椅子の僕に定時制高校は車いすで復学できる学校環境ではない事を理由に復学を許して貰う事は叶いませでした。

恐らく半身不随の身体と障害者になった自分の人生を悲観しきっと弱気になっていたと思います。

また僕はそこでなんとか復学をさせて欲しいと食らいつく事はせずに先生と学校側が齎した(もたらした)結論を受け止めてまたもや逃げる事を選んでしまったのです。

逃げたツケは必ずやって来る

脊損の障害者となりましたがリハビリや社会復帰を目指していた僕にこれまでのツケがやってきました。

入所していたリハビリテーションセンターの訓練施設の担当者さんと就職活動のひとつとして職業安定所に出向いた時の出来事でした。

障害を持つひとの為の職業相談窓口でケースワーカーさんから適正試験を受けました。

その問題の中で数学問題が全く出来て居なかったのです。

ここで僕は思い知りました。

勉強が出来る、あるいは出来ないという問題では無く人間の姿勢として努力しようとしたか?

そのような取り組み姿勢が問われているのではと初めて考えました。

極端かもしれませんが別に勉強が好きではないのならワザワザ嫌いな事をならやらなくても良いと思います。

自分がハッピーになれて周囲が応援してくれて尚且つ世の中のために有益になる事なら各々方が思い思いの好きな事と興味のある事を一生懸命取り組むのが望ましい姿です。

学校の授業だけではなく世の中には星の数ほどの専門的なコンテンツがあります。

勉強以外にも例えばスポーツや何らかの競技なら身体を使った勉強と言えるのでは無いでしょうか?

しかし、自分がするべき事から何でもかんでも逃げていたら「興味が無いから」だけでは済みません。

逃げ続ける姿勢と意識ではこれから行く先々で同じ事の繰り返しです。

そのようにやっと気付いた僕は車イスを漕いで入所施設の近くにある書店で中学生対象の数学の参考書を買い求め勉強を始めました。

やっと「やる気に」なったのです。

最初はもちろん解けない問題ばかりでしたが、投げ出さずに勉強を続けた結果その参考書の問題は解けるようになりました。

入所施設の僕の担当者さんは「出来なかった」僕を知っているので参考書の回答を見て驚いていました。

この経験で僕は自分の知らなかった「僕を」発見しました。

自分自身を誤解していたと言っても良いでしょう。

僕は勉強が嫌いでも馬鹿でも無かったのです。

ありきたりな『やればできる』は本当だった

苦手と思い込んでいた算数や数学は実は勉強させてあげなかったのは自分自身であり努力し向き合おうとしなかっただけなのでした。

言葉にすると単純な表現になってしまう「やればできる」という言い方にもなります。

僕はやらなかったから『出来なかっただけの事』でした。

この思い違いを人間性がひん曲がった教師だの、ちっぽけな自分の自尊心が災いし『苦手なもの』にしてしまったのかも知れません。(中には良い先生もいらっしゃると思います)(そもそもちゃんと努力すれば良いだけの話だ)

もしかしたら自分の中で苦手意識を持っている対象のものは案外「やらなかっただけ」のことかも知れません。

学校の勉強自体の存在意義と必要性は色々な見解と説明が可能だと思われます。

社会生活をきちんと送れ社会人として行動できるようにとか、もちろんあるでしょう。

僕自身の経験で学んだ見立てとしては努力する訓練とその場が学校と言えるのではないでしょうか。

もし仮に不登校や学校嫌いになったとしても悲観することはないでしょう。

学校なんてロクな奴いませんし教師はなんてほとんどバカです。
(学校を卒業して付き合いの続く友達なんてほとんどいない)
(中には親身になってくれる先生さまはおられます)

『自分のやりたいこと』を見つけりゃいいんです。

そして見つけた宝物を大切にしましょう。

宝物を自分で育てる努力をしましょう。

宝物を通じて出会った友達がきっとあなたを助けてくれる宝物となる存在になります。

あなたの努力で育った宝物と友達を大切にしましょう。

脊髄損傷の人生ですが僕はこうして宝物を育ててきました。

最後までこの記事を閲覧いただいた読者様に良き出会いがあることをお祈り申し上げます。

87年式カワサキエリミネーター250サイドカー仕様に乗っています

2016-09-19

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オートバイ事故で脊髄を損傷し下半身不随の身体で50歳という年齢を迎えることができました。 交通事故で車いす人生を送ることになってしまいましたが30年間の中で色々とチャレンジしてきたことをこのブログでお伝えできればと思っています。 主なテーマはつぎのようなカテゴリーです。 ・障害や脊髄損傷に関すること ・オートバイとサイドカーに関すること ・エレキギターに関すること ・柴犬に関すること ・その他 取り留めない内容をお届けするかと思いますが、よろしくお願いいたします。